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産経新聞によると、墓所と併設された習仲勲記念館の面積は約7000平方メートル、周辺の専用道路と駐車場などを入れると2万平方メートルを超え、南に小川が流れ、北に山々がそびえる美しい自然のなかにあり、風水的にも「子孫を繁栄させる」という絶好な立地(地元農民)だという。

習氏の母親の斉心氏がこの墓を大変気に入り、複数回訪れたというほどである。まさに「ゴマすり」の典型といえまいか。下馬評でも、趙氏がチャイナセブン入りするとの情報が流れたのは10月に入ってからで、それまでは党組織部長という要職を務めていても、ほとんど無名。

正直に告白するが、チャイナウォッチャーを自任する筆者でさえも、顔と名前が一致しなかったほどだ。それほど地味な存在だった。

この点、習氏の後継者といわれた陳敏爾・重慶市党委書記も無名も無名であり、かつて本連載でも紹介したが、陳氏は習氏が浙江省トップ時代、新聞社社長として習氏のゴーストライターを買って出たことで、その後、とんとん拍子に出世し、今回の党大会で党政治局員に選出されたほどだ。

話は横に逸れたが、他の2人のチャイナセブンである王滬寧、韓正両氏も側近中の側近。王氏は習氏の外遊や首脳会談などの際は必ず習氏の横にいて、アドバイスをするという重要な役割を果たしている。

韓氏は習氏が上海市トップの際に上海市長を務めており、政敵ばかりで固められていた上海市政界で唯一、習氏を助けた側近であったからこそ、今回のトップ・セブン入りが実現したといえよう。

このほか、チャイナセブン以外の党政治局員は、経済ブレーンの劉鶴氏や大学の同窓だった陳希氏、上海市時代の部下だった丁薛祥氏、黄坤明氏や蔡奇氏は陳敏爾氏と同じく浙江省時代の側近など、習氏とのつながりが強く、長い間、習氏に忠誠を誓ったことで、

中国共産党員8900万人のなかでもトップエリート集団である25人のなかに選出されたといえよう。中国には「一人得道鶏犬昇天」という言葉がある。それは「一族の中で一人が権勢を握れば、一家眷属だけでなく、その家で飼われていた鶏や犬まで天に上るような良い思いをする」という意味だ。

また、「驥尾(きび)」という言葉は、単なる蠅でも一日に千里も走る馬の尻尾にくっついていれば、一日で千里も遠いところに行くことができるという言葉であり、今回の党大会をみていると、いまだに中国では「一人得道鶏犬昇天」「驥尾に付す」という言葉が生きているのだなとの感慨を禁じ得なかった。

これは逆に言えば、なんらかのかたちで習氏が失脚すれば、一族郎党、側近すべてが抹殺されるという意味が含まれていることを、あえて付記しておきたい。

(文=相馬勝/ジャーナリスト)

(おわり)