永田町が政局に揺れ、国全体が北朝鮮のミサイルに緊張感を高めるなか、沖縄県・那覇を訪ねる謎の一行がいた。
その名は中国国際友好連絡会(友連会)。表向きは日中友好を謳う。
だが、実態は対日工作活動の一翼を担っているとされる。ジャーナリストの竹中明洋氏がレポートする。

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「知事は世界的に有名人で知られている。沖縄の利益を守るために基地問題でテレビに出ているのをよく見るし、敬意を表したい」

9月4日、沖縄県庁6階の応接室に翁長雄志知事を訪ね、そう持ち上げたのは北京からやってきた友連会の一行4名だった。
今回、訪日団長を務めた辛旗副会長は翁長知事に要請した。

「ぜひ北京を訪れてほしい。私の大学の同級生が故宮博物院の館長ですので、招待したいと思っています。
また、私の娘も学芸員です。彼女は、昨年沖縄を訪れて、琉球王朝を研究しているので交流したい」

翁長知事は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に強く反対し、日本政府と対立することが多い。
こうした姿勢もあって、翁長氏は親中派と見られがちだが、実際にはそう思われることに神経を尖らせている。

就任以来、翁長知事のもとには、友連会から面会を求める声が届いていたというが、中国側への警戒感もあったのだろうか、実現しなかった。
就任から3年を経て、今回面会が叶った背景には、沖縄政界有力者を介した友連会側のアプローチがあったようだ。

翁長氏は、訪問団に対して、「しっかり交流して平和、経済の面で力を発揮できるようお願いしたい」と述べたという。
翁長氏側が沖縄伝統衣装の「紅型」を、中国側が「掛け軸」と思しき贈り物を用意し、交換が果たされるなど、和やかなムードが演出された。

これだけ述べると一見、日中友好のイベントに過ぎない。
実際、友連会は、那覇で開かれる「ハーリー」と呼ばれる伝統の競漕大会に中国からチームを派遣するなど、交流事業に関わってきたのも事実だ。

だが、今回の知事訪問を公安関係者らは細心の注意を払ってウォッチしていた。
彼らは、表の顔とは別に、人民解放軍の対外工作を担うと指摘されるからだ。
実際、団長の辛旗氏は現役の人民解放軍少将だとされる。

本部は北京で設立は1984年。
当時の最高実力者・トウ小平の肝いりによるもので、現在の会長は中国共産党の元老・陳雲の息子の陳元氏である。

4人いる副会長の一人にトウ小平の三女・トウ榕氏がいるように、党幹部の子弟が要職を占め、さらに有力軍人が脇を固めている。
日本に対しては、自民党などの保守系政治家や自衛隊OBとのパイプを構築してきたことで知られる。

友連会が安倍政権との対決姿勢を崩さない翁長知事と面会するというだけにどのようなやり取りになるのかに関心が集まった。
形式的なやり取りに終始したようだが、それでも辛旗氏はこう述べるのを忘れなかった。

「1990年代や2000年代には沖縄で友連会との交流プロジェクトがあった。
今後はそのようなプロジェクトを再び行い、中国と沖縄の交流を深めていきたい」

友連会のいう「交流」の本当の狙いは、沖縄と日本本土との間に楔を打つことにある。
基地問題を背景に沖縄では日本政府への不満が高まっているが、友連会がそうした気運を利用しようという動きを、筆者は、過去に取材したことがある。
それは2012年8月、東京都の石原慎太郎知事(当時)が尖閣諸島を都が購入する計画をぶち上げ、これに反発する中国との関係が急速に悪化していた頃だった。

その最中に那覇市内のホテルでセミナーが開かれた。
主催したのは、中国の友連会と「交流」していた日本の日中友好団体である、沖縄・中国友好協会。
講師として清華大学の劉江永教授を招いた。
中国きっての日中関係の研究者として知られ、友連会の理事でもあった。

当時、沖縄・中国友好協会の幹部はセミナーについて、こう説明していた。
「石原都知事が尖閣の購入を表明した直後に、友連会から沖縄で尖閣問題について議論する場を設けてほしいとの要望を受けました」

このセミナーでの議論をもとにまとめられたのが、「沖縄の〈万国津梁の想い〉をもって、尖閣の海と島の平和と発展を考える」という文書である。
A4判にして十数枚になる文書には、尖閣領有権問題の処方箋として、短期的に「領有権の棚上げ」を行い、その上で「政府と沖縄との間で、尖閣の土地の賃貸借契約を締結」し、沖縄に「尖閣の管理を委託」することを目指す、といった内容が書かれていた。

https://www.news-postseven.com/archives/20171104_626601.html

※続きます