なぜ日本は敵将マッカーサーを崇拝したのか

確かに、日本は韓国の気質や風土と全く異なり、危機的局面で団結して弾力的に対応する。常識だが、太平洋戦争で日本は300万人近い死者を出した。全国民の玉砕まで約束した宗教集団に似ている国だったので、米軍は上陸直前に覚悟しなければならなかった。

天皇崇拝狂信者に囲まれた敵対的な環境で、占領政策を苦労して展開するものと予想していた。上陸してみると大違いだった。その珍しい風景を米歴史学者はこのように述べた。 「やぁ!で歓声をあげる女性と、必要なことはないのか聞いてくる男たちに米軍は驚いた。優雅なプレゼントや接待、丁寧な態度ですぐに魅了された」(ジョン・ダワー著<敗北を抱きしめて>民音社編集)

米MIT教授であるジョン・ダワーによると、敗者日本は過去を忘れて未来に進むために躍起になった。当時の流行語が「1億1心」だったが、日本の全人口が一心に団結して占領軍に優先的に協力して、後日を約束しようという話だ。すごい日本に違いないが、一部はマッカーサーを最初から崇拝した。

12万人が一針一針縫ったマッカーサー肖像画刺繍作品を献上したほどだ。敵将にプレゼントを捧げる敗戦国民の集団心理とはまさに社会病理研究対象だが、無様な様子は別にある。米軍用の慰安婦を事実上、政府レベルで募集したのである。売春業者に政府支援金を支払う方式だったが、大蔵省 ・内務省・ 外務省などが裏で企画して動いた。

まもなく上陸する米軍が日本の女性をことごとく強姦するという悪い噂を、日本政府が知って措置を下したのである。実際、内務省は8月18日に慰安婦施設の設置指示を全国の警察に下した。そのような過程を経て、当時、東京都内の真ん中に慰安婦募集広告「新日本女性に告ぐ」が掲げられた。

「戦後処理の国家的緊急施設の一環として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。」驚くべきことに東京だけで1360人の女性が殺到、以降、この国の売春宿は30ヶ所に拡大した。水を得た売春業者が皇居の前に集まって「陛下万歳!」と叫んだ。当時、ある高官は「他の女性の貞操を守る防波堤」と苦笑いを浮かべた。

そのように身分を下げ、また下げ、日本は再び立ち上がった。 1952年、マッカーサー司令部の占領期間中、韓国戦争特需で株価が90%跳ね上がり、トヨタ車の生産が40%増えるなど起死回生した。とにかく現代日本の顔を作った大規模な枠組みである平和憲法の制定、戦犯裁判もこの時期にやってのけた。

続きます