>>1のつづきです)世界ジョンイジョプキ連合の各国の講師たちは、テコンドーが「チャギ」、「アプチャギ」、「クマン」などの我が国の言葉の掛け声と用語を全世界に通用させたことに倣い、「サムガク・ジョプキ(※三角折り)」、「ハク・ジョプキ(※鶴折り)」などの韓国式の用語で指導している。

ジョンイジョプキがいつどこで始まったのか教える史料は伝わっていない。

歴史学者は「日本書紀」に「推古天皇の時代、18年(610年)、高句麗王(嬰陽王)が送った僧侶・曇徴が紙と墨を作った」という記録があるだけに、この時ジョンイジョプキも韓半島から日本に伝えられたものと見ている。

三国時代から巫俗信仰に用いられた「コッカル」を我が国ジョンイジョプキの原型とする見方もある。

安東鳳停寺創建説話によると、統一新羅初期の文武王の時代、12年(672年)、義湘大師が栄州浮石寺で紙で鳳凰を折って飛ばし、それが落ちた場所に寺を立てて鳳停寺と名づけた。

朝鮮初期の宰相・河崙(ハ・リュン、1347〜1416)が作ったというソンギョンド(陞官図)遊びも長いジョンイジョプキ伝統の証拠として挙げられる。

棒や賽を転がして高い官職を獲得することを競う遊びだが、官職名を書いておいた盤を折りたたむやり方が高次元の数学的原理を盛り込んだ。

オリガミの原型も古代信仰の風習にさかのぼる。 神に祈りながら罪や不浄を洗う「ハライ」という意識に紙人形を折って使用したのが始まりだという。

このような儀礼用チョンイジョプキは室町時代(1336〜1573)に発達して今日でも使用されている。

これに先立ち、平安時代(794〜1185)末期の文人・藤原清輔が著者の「清輔朝臣集」にカエルのジョンイジョプキに関する説明があり、江戸時代(1603〜1867)には鶴・船・カエルなどの形を紙一枚で折り方は70種類にも盛行したという。

日本は2次世界大戦後、オリガミを体系化して日本国際交流基金(Japan Foundation)を掲げて積極的に世界に伝播した。

紙文化財団関係者たちは昔から韓紙の優秀性が広く知られているうえ、各種遺物、記録、伝統の風俗などから、韓国がチョンイジョプキの源流という事実は疑う余地がないと言う。

ノ理事長は「韓民族のように日常生活で紙に親しんだ民族はないだろう」とし、「日本も壁と天井に紙を塗っているが、部屋の床にまで紙をつける国は大韓民国が唯一だ」と強調している。

11月11日、ソル・フン、ユ・ウンヘ、キム・ミンギ議員室や紙文化財団が国会議員会館大会議室で開く「第1回大韓民国ジョンイジョプキ歴史フォーラム」は、韓国がジョンイジョプキの元祖であることを宣言する席だ。

衣類学者、民俗学者、数学者、伝統工芸家などがコッカル、紙花、百摺扇(百度折って作った扇子)、ソンギョンド盤、位牌の歴史と原理などを究明し、各界の専門家と討論を繰り広げる。

韓中日比較文化研究所のイ・オリョン理事長も韓国と日本のジョンイジョプキを比較しながら特有の洞察と慧眼を提示する予定だ。

ジョンイジョプキの元祖論争が両国間の感情争いに発展するのは望ましくないが、歴史を追跡して原理を把握し自負心を高めて発展の土台にすることは必要なことだ。

ジョンイジョプキは子供の頭脳発達と老人の認知症予防にも役立つという。ジョンイジョプキの原理と手法は宇宙科学や先端医学などにも使われている。

長寿を祈願した紙鶴が日米間の友好のメッセンジャーとしての役割をするように、K-ジョンイジョプキが新韓流の寵児として浮上し、そして韓民族の和合と世界平和の象徴となることを期待したい。

2016年5月27日、京畿道果川市国立果川科学館で開幕した特別展「紙で表現する世界」で子どもたちが紙で作った魚を観覧している。
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2015年5月23日、国会の芝生広場で開かれた「第10回国会童心ハンマダン」でチョン・ガプユン国会副議長をはじめとする出席者がコッカルをかぶって紙飛行機を飛ばしている。
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2015年11月28日、日本の東京韓国学校で開かれた「大韓民国チョンイジョプキ文化祝祭ハンマダン」韓国と日本の作品が展示されている。
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