>>1の続き。


6・25戦争時に国を守ったのも自分たちの力ではなかったし、その後の戦争を防いでいるのも自分たちの力ではなかった。韓米同盟は今日の韓国の発展をもたらしたが、我々から国の最も重要な精神的土台である「決意」を消した。

家長ではなく他人が守ってくれる家の家族たちは、外敵に立ち向かって「肉を切らせて骨を断つ」と飛びかかることはできない。その家の家族がどんなに良い服を着て良い物を食べても、誰も彼らに敬意を払わない。

米国の一方的な核政策に対して、西ドイツをはじめとする西欧諸国と韓国の対応はまるで違っていた。西欧諸国は「米国の核の傘を信じることはできない」と宣言した。「米国が我々の核武装を阻止するというなら、我々が米国の核を使用できるようにしてほしい」と要求し、それを貫き通した。その結果、欧州には米国の戦術核が残り、西欧諸国もこの戦術核使用に一定の関与ができるようになった。

だが、韓国は米国に一言も言えずに戦術核の撤収を見守っているだけに見えた。韓国が失ったのは戦術核という抑止力であり、得たのは韓半島(朝鮮半島)非核化共同宣言という詐欺の文書だった。これは何の違いなのか。欧州諸国には決意があったが、韓国にはなかった。

1994年に米国が北朝鮮の核施設爆撃を決定し、韓国が同意していたら、爆撃なしに北朝鮮の核問題を終わらせることができたと信じる。しかし、韓国社会は「決意」とはあまりにも程遠かった。北朝鮮はそれを見抜いていた。

壬辰倭乱(日本での呼称:文禄・慶長の役)以降、朝鮮は戦いを放棄した国だった。戦いを放棄した国の平和を保つ方法は、戦う決意をした国の奴隷になることだけだ。朝鮮は中国の配下にあったが、その後日本の奴隷になった。政府は今、「どのような場合でも戦争はいけない」と言っている。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が核によって我々を脅しても戦争はいけないというのだ。

「金正恩にカネを払って命ごいをしよう」ということだ。誰も死にたくはない。生きたいと思っている。それなのに、「本当にカネをやるから命だけは助けてほしい」と言えば、助けてくれるだろうか。生きようとすれば死に、死のうとすれば生きるというのは、映画にでも出てくるセリフではないか。それでも、韓国の政治家たちは今日も国民の決意をまとめるのではなく、破るのに忙しい。


>>おわり。