ちょっと長いが、韓国人の性質を良く表している昔の事件の話だ。今回の
軒先貸して母屋を殺し取られる式の事件が韓国朝鮮人相手では当たり前に
行われている訳だ。今も昔もな。

恩をアダで返す朝鮮人のDNA】キム・ソンス君の証言
【終戦時の和夫さん一家殺害事件】金完燮(キム・ワンソプ)の発禁書
「親日派のための弁明」(邦題2002年7月、草思社)
「終戦時の実話」和夫さん夫婦の悲劇。朝鮮人の貧しい小作人が「食べ物がない」と
喜んで食べるものを分けてやり、村で誰かの葬儀があれば、家族総出で駆けつけ、
食事の支度をし、自らも慟哭して、悲しみを分かちあった。和夫さんは、朝鮮人への
温かい愛情をもつ道徳的な人間だった。 行き場のない孤児を見つけると、自宅に
連れ帰って面倒を見ていた。その数は、5年たつと、13人にまで増えた。
和夫さん夫婦は、これら孤児を家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父と母を自称した。
しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分が育てた
朝鮮人の孤児13人の手にかかって凄惨に殺害された。
 ■事件の詳細・・・その日、和夫さん夫婦が実の子のように育て、東京帝国大学に
留学させた朝鮮人Aを中心に、和夫さんの家で教育を受け、成人する20歳まで育て
られた朝鮮人の青年達13人が、クワ・カマ・ツルハシ・シャベル・スコップ・斧を
もって、和夫さんの家に押しかけた。
 和夫:(穏やかな目で)なんで、こんな乱暴なことを、子どもたちよ。 A:チョッパリ!
日本へ失せろ、失せちまえ。 B:死ね、チョッパリ(豚の足の日本人)、シッパルノマ
(クソ喰らえ)!  間髪入れずクワが、和夫さんの後頭部に振り下ろされると同時に、
数多くのスコップと斧が彼の体をズタズタに引き裂いた。このとき、和夫さんの妻が暴行
される恐怖を忘れて飛び出してきた。虐殺を黙って見ていたCは、和夫さんの妻を見るな
り、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずって行って強姦した。そして、
なんと、その和夫さんの孤児達13人は、1週間前まで「お母さん」と呼んでいた“彼女を
全員で強姦し始めた。彼女は、朝鮮人の13人の青年たちによって、ひどい集団強姦の中
で虐殺された。朝鮮人Dは、普段、「お母さん」と呼んでいた彼女の“全身をカマでめった
刺し”にし、それでも足りずに“内臓をかき出して”撒き散らした。このようにして虐殺され
た和夫さん夫妻には、模範的でいい子の一人娘がいた。この小学校6年生のヒミコさんは、
学校の放課後に家に帰って、自分の両親の身に起きた惨状を 見るなり、発狂してしまった。
混乱する朝鮮半島で発狂した孤児となった日本人の「ひみこ」さんは、食べ物を乞いなが
ら村を回ったが、朝鮮人の誰一人として見向きもせず、知らないふりをした。結局、彼女
は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。

という訳だ。これが韓国人なんだってな。気を付けろ。助けるな、教えるな、
関わるなと言うより早く在日追い出すか、皆殺しにしておかないと、日本人全員が
この家族みたいな目に合わされる訳だからな。韓国朝鮮人を助けると、誇りを
傷つけられたと言って殺しに 来るってのは、本当なんだな。