0001右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん
2017/11/17(金) 06:48:18.41ID:CAP_USER戦前や戦時中、炭鉱や土木工事現場など日本国内で働く朝鮮人労働者のため企業が作り、朝鮮人女性を動員した「産業慰安所」について調べた企画展「朝鮮料理店・産業『慰安所』と朝鮮の女性たち」が、新宿区大久保の「高麗博物館」で開かれている。
調査した「朝鮮女性史研究会」によると、慰安所が設けられたのは1937年の日中戦争開始以降。日本や植民地の朝鮮・台湾で総力戦体制が敷かれ、徴兵される日本人に代わる労働力として、朝鮮人が日本の鉱山や土木工事に動員された。企業が労働者の定着や逃亡防止のためとして慰安所を作った。研究会は、軍の慰安所と区別して「産業慰安所」と呼んでいる。
42年には厚生省が「特別慰安所は警察当局と連絡の上、処理せよ」と通達を出しており、企業は警察の協力を得て運営管理にあたったとみられる。
日本の植民地支配に伴い、公娼(こうしょう)制度が日本から朝鮮に伝わり、1910〜20年代、人身売買で連れてこられた朝鮮人女性らが接客する「朝鮮料理店」が日本各地に作られた。30〜40年代に設けられた産業慰安所には、こうした接客店から女性が動員されたという。
研究会は2年かけて調査し、全国7カ所で産業慰安所の存在を確認した。北海道では39年、石炭鉱業会社の業界団体が、朝鮮人労働者慰問のための接客店開設を認めるよう要望し、道庁保安課が営業を許可。翌40年にかけて、道内で慰安所が相次いで開設されたとの新聞記事が残る。
福岡県筑豊地方や、長崎県高島・端島などの炭鉱、また長野県の地下軍事施設・松代大本営や奈良県の柳本飛行場建設現場でも、朝鮮人労働者向けの慰安所や接客店があったとの記録を確認したという。
研究会メンバーの樋口雄一・元同館長は「実際に働いた女性の証言は得られなかったが、戦時中に軍だけでなく炭鉱などの企業にも慰安所が設けられていた事実を知ってほしい」と話す。企画展は12月28日まで。入館料400円、中高生200円。月・火曜休館。問い合わせは同館(ソース先に記載)へ。
(編集委員・北野隆一)
2017年11月16日10時30分 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/CMTW1711161300001.html
https://i.imgur.com/G8S7hs9.jpg
産業慰安所に関する展示パネルの前に立つ樋口雄一さんと「朝鮮女性史研究会」メンバー=新宿区大久保の高麗博物館