【韓国】 「糞尿食べて私は生きていることを実感した」〜韓国戦争、日本軍による民間人虐殺の記録 201711/17
http://www.pressian.com/news/article.html?no=176328
韓国戦争、終戦後60年以上過ぎた。つらい記憶は消えませんカンソク村に住むキム・スヨンは、
彼のお父さんキム・ジョムドンは日本軍が打ち下ろした日本刀を受けて倒れた。キム・ジョムドン
はトイレに這って行った後、糞尿を食べて生き残った。

カンソク村から眺めたキロク峠。日本軍人たちは村の後方の山のキロク峠を越えてやってきて住
民たちを虐殺し始めた。 韓国戦争前後の日本軍人たちによる民間人虐殺に関する連載を再び
進めます。チョン・チャンデ記者が足で取材した内容です。 韓国戦争の終戦後60年以上過ぎま
したが、つらい記憶は消えません。韓国戦争の中で行われた多くの虐殺、その惨禍の中で無念
の犠牲になった数多くの怨みの霊の魂が文だけででも慰められるよう願う。

糞尿食べて私は生きた

斬首を終えた日本軍人たちは首が切られた死骸に塩を振りかけた。血の色に満ちた現場にも自分
の軍服にも白い塩をかけた。誰かは生臭いにおいがしない様にと言い、また他の誰かは霊がひっ
つかない様にと言った。

19人を斬首した日本軍人たちは人々が集められた場所に戻った。引き続き18才から40才まで男女
の区別なく住民50人余りを捕縛してクロク峠方向に引っ張っていった。普通の村と似た風景、カンソ
ク村ももう女子供と老人だけ残った。山を越える前、日本軍人たちはその前の畑に住民たちを一度
に押し込んだ。そして集中射撃を加えた。キロク峠の銃声はカンソク村に届いた。わずか数時間で
100人余りの人々がこうして命を失った。

日本軍人たちはクロク峠を越えて南原(ナムォン)市内にゆうゆうと抜け、この日の住民の被害はそ
っくり戦果として残った。日本軍人たちがクロク峠を超えた頃、キム・ジョムドンは奇蹟のように気が
ついた。彼は周囲が静かになると血まみれになった地面をずるずる這って家に戻った。引き続き、
低い垣根を越えてトイレに身を隠した。肥壺に隠れながら自分が生きているのか死んだのかわか
らなかった。それほど何を考える余裕もなかった。

キム氏は糞尿を食べた。なぜそうしたのかは分からない。ただし、つぶれそうに柔らかい糞尿がの
どを通る瞬間、生きていることを実感した。


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http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1445768106/
【韓国】 韓国の小中高教育では「朝鮮戦争」と呼ばない⇒ 日本と戦った「韓国戦争」と教える (写真あり)
http://2ch-dc.net/v5/src/1403107968605.jpg