【中国】「日本人の先祖は中国人」という話は真実なのか=中国報道★2
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サーチナ2017-11-17 11:12
http://news.searchina.net/id/1648121?page=1
自分のルーツはどこにあるのだろう。多くの人が疑問に思うであろう問題だ。中国では「日本人の先祖は中国人である」という話を信じている人が数多く存在するが、これは果たして本当なのだろうか。
中国メディアの今日頭条は12日、「日本人は秦王朝のころの中国人の子孫なのか」と疑問を投げかける記事を掲載し、日本人のルーツについて紹介している。秦王朝とは紀元前221年から206年まで存在した中国初の統一王朝のことだ。
記事はまず、中国には5000年という長い歴史があり、中国の隣国である韓国や日本は中国に朝貢していたことから「中国歴代王朝の属国」であったと主張し、韓国人や日本人の祖先は中国人ではないだろうかと疑問を提起した。
続けて、事細かに記された文献は残っていないものの、韓国人や日本人の祖先が中国の歴代王朝と無関係だったとは考えにくいとし、少なくとも秦の始皇帝の命を受けた「徐福(じょふく)」は日本を訪れており、徐福が日本で「神武天皇」となったという説まであることを紹介した。
確かに青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されており、佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、和歌山県新宮市、鹿児島県出水市、いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などは徐福ゆかりの地としても有名だ。
(全文は配信先で読んでください)
1がたった日時 2017/11/17(金) 20:43:58.20
前スレ 【中国】「日本人の先祖は中国人」という話は真実なのか=中国報道
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1510919038/ >>3
朝鮮最古の水田跡って、日本のと時代が変わらないんだぜ。
1970年より前の古い研究を引きずってるんじゃねーよ低脳。 うーむちゃんと貼れてなかったな
ま、菜畑遺跡で調べりゃすぐでるか 日本人の先祖は南アフリカ人だよ
実は世界中そうなんだ 998 返信:(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2017/11/17(金) 22:32:27.08 ID:k9u5DYmP [4/4]
>>989
初潮が来たら赤飯だろ
我々日本の美しい文化だ
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冫(゚Д゚) 日本人は代々、生理は隠避の対象ですが?
やっぱ朝鮮人wwww 中国人って中国人の祖先が誰なのかは考えたくないみたいだしね。 >>8
は?
やるだろ
俺は初潮来る前に食ったことあるけどなゎら >>4
むしろ南九州から始まって、北上して朝鮮半島に渡ったと考える方が妥当ってのが最新の研究結果じゃなかったっけ。 鮮卑とかモンゴルが北魏とか中国侵入が常態化してた頃には多くが南部に逃亡して
中国北部の田畑は荒れ果てて人口は激減していたそうだし
遺伝子的に関係があるとしても中国南部
それでもだいぶ遠いことは分かっている >>14
それはそれ、これはこれ。
経血ってのは日本の伝統からすれば「ケガレ」なのよ。 > 「日本人は秦王朝のころの中国人の子孫なのか」
まあ、違うな。
他方の流れも合流しているからな。 初潮なんて身内でお祝いはするけど人前じゃとうてい言わないw >>21
そのルートは後の時代だね。
岡山より東側にもっと古い水田跡が見つかりだしてる。 >>23
冫(゚Д゚) その通り。
うちも神社持ってて、お手伝いやらされるけど
生理のときはダメ。 >>22
そういやOのグループって何処から湧いたんだろう この手の記事で日本人だけ対象になるのは、やはり侵略を企図してるからだろうな
根拠が徐福とか失笑
扶桑伝説は明らかに隔絶した外地を指し示すものだ
中国人の遺伝子グループがどう移動したか、ろくに研究されてないんだろ
雑種の集まりのくせに漢民族とか片腹痛いわ 百済人の母を持つ桓武天皇は第50代天皇
明治天皇が第122代天皇
天皇は親が同じとか重複があるがまあ明治天皇が桓武天皇の約50代後の天皇とすれば
明治天皇の桓武天皇の母の百済人の血の比率は1/2 の50乗で、1/1125899906842624 になる
つまり、たった1125兆分の1しかない
1代後 1/2
2代後 1/2 × 1/2 = 1/4
3代後 1/2 × 1/2 × 1/2 = 1/8
……
50代後 1/2 × …… × 1/2 = 1/1125899906842624 >>24
そうそう。
来週こそやっと奈良へ行けるぞ。 >>9
唐より前の時代は半分くらい北京原人だったんだろ >>28
岡山のプラントオパールは陸稲だったと思うけど、どこの水田跡なの? 中国の場合は中原をめぐって争っていた多数の民族の寄せ集めやろ
周囲の異民族が中華を征服して王朝を建てる事ができても
その民族は逆に漢化して滅びてしまう
これが中国の恐ろしさだな 正確に言うと、日本人のルーツの一つである弥生人は長江河口域で長江文明を築いた民族の末裔。
その後の春秋戦国時代や三国南北朝の動乱により北方騎馬民族が今の漢民族となった。
日本人の先祖は中国人と言えないこともないが、今の中国人の先祖と日本人の先祖は全く異なる民族。 >>32
たしかにモンゴルに対しては言わないよね。 >>30
『銀の海金の大地』だったか。
生理中の女がまとめて小屋に押し込められている描写があった。 >>34
> 百済人の母を持つ桓武天皇
言い切っちゃって良いの、それ? >>43
冫(゚Д゚) まぁ、そんな事やりたくない時でもあるしw >>33
オリジナルメンバーはもう女性二人だけしか残ってないそうな。 >>39
騎馬民族は数が少ないからそれは違うな。元の時代にもっとも数が多かったのは最低カーストの南宋人だった。 >>21
そもそも、朝鮮半島に稲作に適した年間降水量1000mm以上の地域は最南端の一部しかない。
稲作は長江河口域から海を渡って直接日本にもたらされたと考える方が自然。 >陶ケン(ケンは土へんに員)
>陶ケン(とうけん)土笛の謎、日本では縄文時代から日本海沿いを中心に
100個ほど出土してるが、朝鮮半島からは一つも出土していない。どうして?
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12043460662.html
その一つが「土笛」です。弥生時代の土笛は、陶ケン(とうけん)とも呼ばれる焼物の
笛で、起源は中国。河姆渡文化晩期(かぼとぶんかばんき・約6500年前)の遺跡
などで出現しています。
2014/08/12 - 陶ケンの出土は殷から周時代にかけて. 中国大陸と日本列島間の
交流があった可能性を表している。 陶ケンが朝鮮半島から全く出土していない
ことから、. 中国との直接交流があったということだろう。
「中国古代の陶ケンにその形と指孔の状況が酷似している」(国分 1968:190)と
指. 摘、以来「陶ケン」や「土笛」として紹介 ...
朝鮮半島において陶ケン形土製品の出土が知られていない。 >>39
中国人の祖先と敵対し、滅びた部族は中国人の祖先になり得るのだろうか。 はいよw
遺伝子的に三国時代の呉から日本に大量に移住したというのだから、渡来人は古代の中国人。
ちなみに今の中国人は曹操が異民族を大量に引き入れたので、すっかり違う生き物になっている。
ゆえに、真に偉大な古代の中国文明と現在に日本の栄光を引き継ぐのが今の日本人。
なのかも知れない!コリア=単なる野蛮人。 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ba/4e1ebd295bfcf64f61a607a0fb7b25f4.jpg 見ろ!!wwかわいいいいいいいー
臭賎人とジェンジェン違うだろ 馬鹿タレwww
民族衣装をまとったかわいい女性。(彝族は支那民族とは異なる)。中国四川・雲南・貴州に多く住む西蔵系少数民族の一。
・彝倫(いりん):不変の道徳。
(敗戦後の多くの日本人に最も欠けているのがこの人の守るべき道。徳があれば病まずに済む社会/日本)。
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。
さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。
またこのD系統はYAP型とも言われ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。
D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42〜56%で、韓国ほぼ0%である。アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人にはO系統が混ざっている。
それでも本土日本人のD系統は半数以上である。つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、
アイヌにアジア主流のO系統を足したのが本土日本人となる。
結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人〜本土日本人〜沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、日本人3集団が持つD系統を持たない韓国人は赤の他人と結論できる。>>ふむふむ 朝鮮人は人類の悪種か?
納得した。 wチョンシネ 日本人は幸せだよなぁ、
中国という父がいて、韓国という偉大な兄がいる
そして、在日という英雄がいる >>34
半島からの難民の子孫を宮中に入れるなんて古代の日本はなんてリベラルなんだ。 中国人じゃなくて、中国と中東の境にある少数民族
枯れてしまった湖の側の民族だよ
今の中国人とは遺伝子レベルで何一つ合わない
日本人は旧石器時代に中東の境目を出て、ポリネシアを経由した失われた民族の子孫
中国と韓国人はDNAとか遺伝子解析を無視すんなボケが >>49
んだ。
>>46
高野新笠の時点で帰化十世だったような。 民族を決めるのは遺伝子や血統だけじゃなく
その土地の宗教や文化や言語とかも重要な要素だと思う "今の中国人"ではないだろうけど、中国のある場所から地続きの時代に来たのは確かだろ >>51
さっきの話だけど 李朝の婆さんの方は存命なら99歳、病院でチューブまみれなんじゃないかな まぁ、おまいらも遡れば中国人か韓国人なんだよ
だから、在日さんを大切にしろよ! 民族は自称だからね DNAが違う訳でもないし 国なんて人の集まりだから意味なし
日本人が葦のように湧いて出てきてなかったら、元々は中国から渡って来たと言っても問題ないだろ >>60
日清戦争で負けたり併合されたりしたカスがどうした、穢れた血の朝鮮劣悪種 >>51
そなんだ。
まあポピュラーソングの歴史で言えば古代人みたいな時代のグループだしなあ。 「秦氏」は、「自分らは秦の始皇帝の子孫である」と自称している『新撰姓氏録』。
「竹斯(筑紫)国の東にある秦王国」 隋の使節団は「そこの人々は華夏
(の人々=中国の古代国家「夏」)と同じである」と報告している。
始皇帝陵、兵馬俑と武人埴輪の甲冑が良く似て居り、墓の回りに土器類を大量配置。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/08/77/src_11087751.jpg?1451096009
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/008/144647630137934814179.jpg
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
秦の陶芸品「陶胎漆鼎(とうたいしつてい)壺に日本でよく見る「三つ巴(ともえ)紋」
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746154434.html
豊前宇佐神宮、京都の石清水八幡、八坂神社、秦氏に関わる神社(三つ巴紋)
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/image-12199080085-13746155049.html
新羅の前身、辰韓人は秦からの亡人で自らを「邦」邦人と呼んでいた。
黄金の宝剣 新羅時代の古墳から発掘された美しいこの宝剣は、黒海や中央アジア
で作られたと考えられている。カザフスタンのある遺跡からも同様の剣が発掘されて
おり、新羅が中央アジアの北方遊牧民と交流していたことを物語る (三つ巴紋)
https://dot.asahi.com/photogallery/archives/2015062300182/22/
新羅の装飾宝剣とフン族、カザフスタン、ボロヴォエ湖付近出土(5世紀末〜6世紀初)
http://avantdoublier.blogspot.jp/2009/03/blog-post_10.html >>41
モンゴル人も黄帝の子孫認定し、
チンギスハンが長城を越えていないのに、中華民族の英雄にするのが中国人。 日本の先祖は東南アジアとモンゴル地方じゃなかったかな?
支那人は旧中国の中では下層の部類だったはずw 北方シナ人に弾き出された越人あたりが水稲と一緒に来たんだろう
一部は北・西九州、一部は朝鮮南部へと 害虫の巣窟のシナと半島の代わりに他の国が隣に来て欲しいわ 寝る前にひと言だけ言わせてくれ、
俺も中国人、じゃなく韓国人になりたい! >>63
> 高野新笠の時点で帰化十世だったような。
まあ、「くだらない」固執って話かw >>54
弥生人が住んでいた長江河口域は少なくとも二回民族が入れ替わってる。
まず、春秋戦国時代に黄河文明を築いた民族が長江河口域に侵入して元いた弥生人を追い出し、次に三国・南北朝時代の動乱で人口が激減した中原や長江流域に鮮卑人が多数入植した。
元の時代の南宋人の先祖は騎馬民族の鮮卑人。 ●浙南石棚墓群(浙江省温州地市瑞安)(日本では支石墓)
1993年に浙江省温州地市30を超える石棚墓が発掘され、春秋時代の器物が多数出土した。石棚墓とは日本でいう支石墓のことである。
これは、紀元前1700年〜紀元前256年頃にかけて江南地方で営まれた墓制で、石棚墓の下には甕棺も埋葬されている。
その形状や葬送様式などから、九州北部や朝鮮半島南部に展開する支石墓のルーツかとも考えられる。
紀元前1500年頃になると遼東半島から吉林省南部地域にも出現するが、これは、支石を箱形に並べた上に
高くびえる形で天井石を載せたもので、 テーブル式と呼ばれる。一方、朝鮮半島南部に支石墓が出現するのは
紀元前500年頃からで、数個の支石の上に長方形に近い天井石を載せたもので、 碁盤式と呼ばれている。
韓国では、高くそびえるテーブル式を北方式、低い碁盤式を南方式と分類しており、 両形式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。
浙南の石棚墓は後者の南方式と呼ばれる碁盤式である。日本では、碁盤式と呼ばれる南方式の支石墓が縄文時代晩期末の
九州北部に出現している。 唐津市の葉山尻支石墓群が最古とされ、縄文時代晩期末(弥生時代前期)〜弥生時代中期の支石墓と甕棺墓がある。 中国人も日本が国の形を成し始めた時には異民族と混血しまくりでルーツなんて無意味と知っとるやろが ●周代の土とん墓
墓制(墓づくり様式)において、大陸と共通するのは横穴式古墳や支石墓のほかにも、円墳、方墳など、
土を盛った高塚式古墳のルーツも中国の江南にあったことが明らかになりつつある。
2005年、南京博物院考古研究所は、江蘇省の句容市と金壇市で、土を盛った墓である土とん墓群の大規模な発掘を行なった。
(とんは土+敦)。総数で40の土とん墓を発掘し、233の墓葬と14の墓葬建築遺跡を整理したところ、幾何学模様の陶器、
原始的な青磁器を主とした、 江南地方の特色がある各種の文物3800件余りが出土した。発掘後の整理によって、
船形棺の葬具、 石の寝台、墓の上に建てられた木造の山形をした掘っ立て小屋の存在が明らかになった。
(人民中国「江蘇省句容市と金壇市にまたがる周代の土とん墓」) >>77
違う、チベット方面から右に流れて来た原モンゴロイド集団らしいよ、DNA辿るとその流れらしい ●墳丘墓の源流
日本では、弥生時代の墳丘墓も、前方後円墳などの古墳も、遺体を地面より高いところに埋葬する。
一方、中国の華北では遺体を地面の下の深いところに埋め、その上に土を盛る。
ところが、呉や越の国があった長江河口域の土とん墓は、地面よりも高いところに遺体を埋葬する。
土とん墓は、中国のきわめて限られた地域(春秋戦国時代の呉越の地域)で行なわれた埋葬形態であった。
越が楚に滅ぼされ、江南一帯が楚の領土となってからは土とん墓は消滅し、楚の木槨墓が行なわれるようになった。
吉野ヶ里などの弥生時代の墳丘墓が、中国江南地方で呉・越の限られた時代に行なわれた土とん墓の
影響を受けた可能性を示しており、 この時代の人々が、日本列島に渡来したことと整合する。
(邪馬台国の会「中国古伝承のなかの倭」) ●舟型木棺の源流
江蘇省の土とん墓群からは船形棺の葬具が出土しているが、実は、四川省の成都市で約2500年前(春秋晩期〜戦国早期)
のものと思われる舟型木棺群が発見されている。
舟型木棺とは丸木を船形に彫って作った棺のことで、舟棺で埋蔵することには「舟に乗って他界に行く」意味がある。
大きいものは長さ18mを超えるものもあり、直径1・6〜2mの楠の木をくり貫いたもので蓋もついていたという。
ほかには、大小併せて17の丸太彫りの舟型木棺が確認されたが、当初はこの他にも多数あったものと推察されている。
規模の大きさから、王の家族もしくは一族の墓であると考えられている。(「考古用語辞典」)
舟型木棺は四川省の巴蜀文化の特色とされるが、わが国の古墳にも舟型木棺が多数使われている。
構造はくりぬきの舟型木棺が多く、鏡、鉄剣、鉄刀、良質の勾玉などの副葬品を伴う。舟型木棺の思想もかなり早くから、
長江流域の四川省から江蘇省まで展開していたようである。 >>76
モンゴル帝国の最大版図を中国の潜在的な領土だと思ってるんだろうか
と思ってしまった >>81
同意。
韓国人を10段階くらい劣化したのが俺らネトウヨ日本人! ●銅鐸祭祀の源流
先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、日本の銅鐸のルーツ
ではないかとの見解が出されている。 「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。
大型の鐃(にょう)は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い」。(考古用語辞典)
祭器としての青銅器を土に埋めて保存する習俗としては、苗族や白ラ人の銅鼓がそうである。そして、
湖南省でみられた青銅製の鐃と弥生の日本の銅鐸がある。
さらに今度は、明らかに銅鐸の原型と思われる形をした陶磁器の鐸が発見された。
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、
原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、
日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。
肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ec/51019b8376d63c6cd73caa4bf148cf45.jpg
馬王堆漢墓の帛画をもう一度みてみよう。図左の天上界の中央で、宙に吊られているのが鐸である。
それを、馬か鹿に乗った人物がひもで引っ張って鳴らしている。玉璧は天との交信に使われたりしたが、
この帛画では死者を天上界へ導くための器だった。一方の鐸は天上界の器であり、
「天上界の音」を奏でた楽器であることが分かる。………まさに驚きの事実である。 徐福の子孫はむしろ八咫烏だろ
和歌山に徐福を祭った神社あるし >>91
アイヌもモンゴロイドだっつーのデマばっか書くなよカス ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています