バカチョン猿の歴史がこれだ笑える

中国の明の時代に → 「朝鮮は弟」になる従属条約を結んだ。
中国の清の時代に → 「植民地」に260年間もされてしまった。

中国の明の時代に朝鮮王朝は、「中国が兄で、朝鮮は弟になる」従属条約を結んだ。
明の使者に土下座して属国として中国に従った。しかし、清の時代になると植民地に
されてしまう。

「南漢山城」とは、1636年12月に清が朝鮮に侵入すると、王と家来は戦わず国民を捨
て逃げた。朝鮮王朝16代の仁祖王と家臣と家来らは南漢山城に隠れたが、寒さと飢
え、絶望的な劣勢下で包囲され、無理な要求と圧迫が強まった。城の中で「降伏すべ
き」「戦うべき」で意見が分かれるが結局なにも出来ず。そして、あまりの飢えで籠城も
困難となり40日程で仁祖王は降伏した。

1637年1月、仁祖王は清の皇帝の前で土下座して謝罪して許しを願って朝鮮王朝は
滅んだ。家臣たちは「国王があんなぶざまな姿になって…」と大泣きしたという。これに
、今の韓国民には朝鮮王朝の最大の屈辱だと言う。

しかし、当時の国民からすれば、戦いもせず国民を捨て真っ先に逃げた仁祖王はクズ
扱いされた。清が侵入すると、国民は朝鮮王朝に苦しめられていたので、清軍を歓迎
し協力したほどだ。飢えて苦しむ民衆をよそに、自分達だけが贅沢をして腐敗した朝鮮
王朝が内部から崩壊した姿でもある。

降伏した朝鮮王は清に賠償として差し出す物産が無いので、換金できる奴隷60万人
を差し出した。清は60万人を奴隷船市場で売って金にした。そして毎年、清に貢物と
して差し出す物産の産業も文化も文明も無い未開朝鮮は、朝貢として換金できる少女
を毎年5000人を献上、清は少女を西洋奴隷船の奴隷市場で金に替えた。

また清の奴隷船が朝鮮に寄港しては、品物の代金として男女を物色して捕らえ、西洋
奴隷船の奴隷市場で売っていた。このように、260年間も中国の奴隷植民地にされ、
文化も文明も文字も与えられず、教育も与えられず、未開の奴隷植民地だった。そして
、1897年に日本が日清戦争で清を滅亡させるまで260年間も奴隷植民地であった。