慰安婦が貯金して朝鮮に帰っていく様子を描いた慰安所管理人の日記

 ◇1943年
 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。
 6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。
 8月 4日 営業ができず、ごろごろしていて、 慰安婦たちも退屈でたまらず、 主人の方も外出さえできないので、じたばたしている。
 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>
 ◇1944年
 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。
 3 月 8 日 慰安婦を連れて市庁前の広場で挙行された大詔奉戴記念式に参加した。
 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
 4月 6日 生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。
 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。
 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
 4 月19日 きょうは公休日で慰安婦たちも全員外出する。
 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
 6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。
 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。
 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。
 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したというはがきが届いた。
 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。
10月25日 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。
10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
10月27日 慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。
11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。
11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。
11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。
11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた。
12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。

『日本軍慰安所管理人の日記』(日本語翻訳版)
http://www.naksung.re.kr/xe/index.php?mid=sepdate&;document_srl=181713