朝鮮の過去には文芸というべき文芸がない。
工芸に近いものは多少あったであろうが、詩も無ければ小説も無く、劇も無い。
精神文明の象徴は殆ど全く無い。
これには種々の原因があったであろうが、兎に角変な事である。
朝鮮の過去には歴とした生活があった。
生活のある所に文芸の起こり得ない訳はない。
それが起こらなかったとすれば、必ず社会状態に畸形な所、病的な所があったからである。
(文芸評論家 島村抱月、大正6年10月)