>>428
被害にあった、また未だ被害にあっている鹿児島妙円寺の証言。

この鹿児島の特異な寺壊しの原因は、一部の神道派薩摩役人と、歴代島津氏の圧倒的な仏教信仰により、
明治まで身分が低く、僧侶の下に置かれていた、明治政府の神仏分離令に乗じた神官(神主・宮司)達の先導による反乱だったようです。

あの明治初期のファナティックな神道派による寺こわしの中で、例えば日置市の徳重神社に関して言えば、なぜ神仏分離に矛盾する行為、つまり妙円寺を焼き払った後、
島津義弘公の仏像を欲しがり、無理矢理、御神体としたのでしょうか…私には解せません。
そして“妙円寺参り”または“妙円寺詣り”と称し、当寺の寺号を無断で使い徳重神社に参る。徳重神社は妙円寺の如く振舞う。

更に驚くことには、日置市伊集院町という自治体も、徳重神社をまるで妙円寺のように語り、徳重神社隣に明治13年には復興した妙円寺は無きものにする。という理不尽で滑稽な行事が、100年以上、平成19年現在でも続けられているのです。

http://myoenji.jp/haibutukisyaku.html