>>768
そりゃ学説としては認められてない。
だが、事実として朝鮮系下級武士はいたし薩摩の藩士は朝鮮語勉強してた。
薩長は汚鮮地域だった。

例えば、大久保利通の父の利世は、琉球貿易のための琉球館の通関職員だった。
薩摩は漂着を偽装した朝鮮との密貿易もしていたから朝鮮語か広東語を話せただろう。
天保13年(1842年)、この年までは高麗町に住んでいたことが、『鹿児島城下絵図散歩』で判る。後に琉球館付役に就任、琉球館内の屋敷に転居。