>>819

東條は満州三角同盟が使った表向き用のコマでしかなかった。
満州で東條は長州閥と結びついた。
東北人らしい優秀な真面目だけの人間だったからだ。
操り人形にぴったりだった。

満州は政治も経済も岸一族の支配下にあった。長州の野望だった満州のため日本は開戦し敗戦した。

特に鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも呼ばれ東條内閣を倒閣するなど、最終的には力があった。
3人共山口県周防地方の生まれ・
育ちであり、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の間には姻戚関係もある。

松岡の妹の夫は、岸の母方の叔父である。岸の実弟である佐藤栄作は、叔父夫妻の長女で松岡の姪の寛子と結婚して婿養子となっている。
のちのことになるが、岸の長男の妻は、日産の鮎川の従兄の娘である。