昔からフィリピン人は大日本帝国が大嫌い

- 衆 - 海外同胞引揚及び遺家族… -
昭和27年03月12日
○神保参考人(神保信彦)
 私先般フイリピンに参りましたが、日本人として個人として、初めて行つたような関係であります。
そこで今日の議題にありますフィリピン在留日本人の状況をお話します前に、御理解になる前提としましてフィリピンの情勢を簡單に申し上げたいと思います。
(中略)
 フィリピンに行きまして気のつきますことが二つあります。それはフィリピンの対日感情が予想以上に悪いということです。
これは端的に言つていいか悪いかわかりませんが、実際に悪いです。
われわれは非常に甘く考えまして、政治家のある程度の政策上の問題だろうと思いましたが、実際に悪いです。
たとえばパーティをやつたり、あるいはレストランなんかに行きましてボーイや何か、日本人だとわかれば必ず言います。
私のおやじが殺されたの、兄弟が殺されたの、家が焼かれた。これは戦争中日本人がやつた。日本人ジヤツプジャツプと今でも言います。
それからたとえば自動車に乗つて、日本人だとわかれば、運転手が言いますし、宴会などで女、ばあさんは、まだなかなか敵愾心が残つております。
この民族感情が、このように熾烈にずつと根強くありますので、フィリピンの政治家としましても、この民族感情の上に外交、政治をとらざるを得ないのだろうと思います。
・・・私は政治の問題はよくわかりませんが、そこでこれはどうしても対日感情が悪いということを前提に置いて、海外同胞引揚げといういろいろの政策も、交渉も進めて行かねばならぬと思います。
 それからフィリピンで気つきますことは、たとえばマニラの町のまん中にフオート・サンチャゴという要塞があります。昔スペイン時代の要塞です。
そこなどにガイド、歩哨が案内してくれますが、そうするとやはり日本が占領当時――終戦のときだと思いますが、昭和二十年ごろ、憲兵隊に留置した者を拷問をやつた部屋とか、虐殺をやつた部屋をそのまま歴然と残しておぐのです。
そうして五百メートルぐらいの広い牢屋ですが、穴が掘つてありまして、ここでつるし上げて、日本人がフイリピン人を殺してそうしてここへ死骸を積んでここに埋めた。
そのお墓はここなんだとよく説明します。そうしてやはり昔の残虐的なところを日本人に理解させようとするわけです。
また半面に、山の中におつたゲリラも、これもやはりフィリピンでは抗日の英雄というようなぐあいになつておりますので、やはり初めは抗日的な政策をとつたのだろうと思います。
その薬があまりきき過ぎて、現在のようになつたのではないかと思います。
そこで日比の関係が、われわれが考えるように、いくさが終つてお互いに理解の手を差延べておるという状況でないということを前提にして研究されることを希望いたします。