>>482
おまえでもいい、さっさと反論してくれ

フィリピンは当時は親日派と親米派に分裂
で、この親日派が日本の認可で建国したのが「フィリピン第二共和国」
今の「フィリピン第三共和国」は日本敗戦でこの「フィリピン第二共和国」が消滅後、
占領した米国からの独立って形で建国した国

実際はどうだったかは分からないけど、米国は日本の占領前にフィリピンに独立を約束していたけど
土壇場で独立キャンセルの前科があるし、同じアングロサクソンの英国は同様の
独立の約束で協力させ何度も反故にすると云う手法をインドにずっとやって来てた
これを踏まえると、日本がアジアに進軍して白人の植民地政策に楔を打ち込んだのは
非常に大きな役目を果たした可能性がある

日本は一時占領下であっと言う間にフィリピンやビルマの独立を認めた事で
戦後、欧米は「独立口実に使役して反故」がやり辛くなった
どうしても日本と比べられてしまうし、日本=悪、自分達は正義と言う図式を成立させる為には
日本以上のアジア諸国への配慮が求められる事になった
米国は2度目の約束反故は考えてなかったかもしれないけど、
もし大戦後も変わらず植民地政策続行の考えが過ぎっても、絶対に続行出来ない状況になってた訳だよ

フィリピン視点で見れば、日本の後ろ盾でフィリピン第二共和国として独立でも
米国の後ろ盾でフィリピン第三共和国として独立でも、どちらにせよフィリピン人も血を流して得た
独立に変わり無い。
そして極々限られた期間しか存在出来なかったフィリピン第二共和国建国も、
今度こそ米国が約束を履行しフィリピン第三共和国建国を果たす為には意味があった。
フィリピン第二共和国建国や消滅に関わり命を落としたフィリピン人や日本人は決して無駄死にじゃない

 「米国はフィリピン独立を約束していた」だから大日本帝国陸海軍が独立させなくても、
どのみちフィリピンは独立していた”と言うのは仮定・推量・憶測でしかない。
 たしかに、米国は1934年(昭和9年)フィリピン独立法=タイディングス・マダフィー法の
成立に伴い10年後のフィリピン独立を認めた。
しかしこれは単なる予定に過ぎず、実現したわけではない。米国の都合により、
その後取り消されることも十分あり得る話である。米国による独立など
仮定・推量・憶測の範囲を出ない議論である。

 それに対して、大日本帝国陸海軍は「1943年10月14日、ホセ.ラウレルを
大統領としてフィリピンを独立させた」と言うのは歴史的事実