>>200
一進会李容九の名において 曽禰荒助統監に提出された合邦請願書は 内田良平の下で合邦運動に従事していた武田範之が起草し、
十二月一日に再渡韓した内田が持参した原稿に若干の修正を加えたものである。

「外交史料韓国併合 下」

明治四十二年十二月八日憲機二三六五号

今回一進会の発表したる声明書は内田良平にして、、と書かれている。

伊藤公爵 去後二 於ケル韓国政局並二総理大臣李完用遭難一件

合邦反対の理由 大垣丈夫談

合邦主唱者たる一進会が実数四千にも満ざる会員を似て漫りに百万と称するは 虚声も 甚だし。

一進会果して百万なりとせんか老幼婦女子を除くの外殆どの韓民の総て挙て同会員たらざる可らざる筈なり。

一進会の首謀者は日本人の内田良平、一進会の会員は四千に満たない小さなもの、当時の韓国国民も一進会なんか支持してなかったのがわかる。