1953年におけるチベット公式の国勢調査では中央チベットの人口は127万人と記録されており、
中国政府の主張にしたがう学者はこれを根拠として虐殺被害者「120万」という数字の信憑性を疑問視するが[4]、
しかし、上記の通り、チベット亡命政府の採る犠牲者120万人という数は、ガンデンポタンが統治していた中央チベットだけではなく、アムド、カムをも含んだチベット全域の数字である。
また、チベット地域の人口は600万人といわれるため[5]、総人口の5分の1が虐殺または行方不明となっている。
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