帝国軍中将が朝鮮人だった時点で
慰安婦強制連行性奴隷虐殺はあり得ない。と馬鹿でも解る

朝鮮出身の日本陸軍中将
洪思翊 (連合軍捕虜虐待の罪で死刑)

1914 年、陸軍士官学校(26 期)卒
1923 年11 月、陸軍大学校(35 期)卒
1939 年9 月28 日、支那派遣軍御用掛
1940 年8 月1 日、留守第一師団付
1941 年3 月1 日、陸軍少将・第108 旅団長に昇進
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により、指揮を執る。異議のあるものは申し出よ」
1944 年3 月2 日、比島俘虜収容所長に就任。10 月26 日、陸軍中将に昇進。12月30 日、第14 方面軍兵站監に就任。
戦後、連合軍から収容所長時代の責任を問われる。
1946 年9 月26 日、マニラで死去(法務死)