日本の良き旧習に関する基礎知識がないカキコが多いので資料を。

Yahoo知恵袋に質問と回答があった。
(以下 コピペ)
夜這いのある(あった)地域の父親は、娘の貞操をどう思っているのだろう?

日本の一部では夜這いの風習が1960年代まで残っていた記録がある。
いまも存在すると言うことも聞く。当事者・体験者、見聞きした人はは今でも大勢
生きているはずだ。父親は、自宅に侵入し娘とセックスする村の男をなぜ黙認
していたのだろうか?仮に娘本人の了解があったとしても、父親として本能的に
不愉快と思い、守ろうとしないのだろうか。まったく理解できない。
生まれた子の運命は、父がわからない子を産んだ娘の将来はどうなるのだろうか?
慄然とする。当該地域の方々の説明を聴きたいです。

ベストアンサーに選ばれた回答
当時は、娘の貞操とか別になんとも思っていませんでした。
貞操感とか言い出したの明治後半以降の事で、江戸時代は基本的にフリー
セックスな社会です。夜這いに限らず、10代前半でもうエッチはしまくっていました。
基本的に村自体が一つの大家族的な考えでした。

なぜなら、今と違うのは古代は多産多死の世の中で、10人くらい子供を生んで
8人くらいは結婚する前に死んでいるような社会です。一人の愛娘を溺愛して、
至れり尽くせりで育てる今の社会とは根本的に考え方が違います。娘に悪い虫が
付かないように目を光らせていたのは武家や大商人くらいで、普通の家ではそん
な事をしてても、8割の可能性で処女うちで死んでしまいます。守ってるなんて意
味がありません。

生まれた子供の運命は?・・・まぁ8割の可能性で死にます。父親の分からない子
を産んだとしても、娘はいづれは結婚しますので、その夫が育てる事になります。
結婚したところで、夫か妻が若くして死ぬ可能性は極めて高く、またすぐ再婚しました。
死別すれば、当然、子供は残される訳で、再婚相手と一緒に住む事になります。
子連れの男、娘、なんてのは普通に大量にいましたし、経済的な問題を除けば結
婚に差し支えるものでもありません。

また実は、江戸時代の離婚率は50%と非常に高く、今のアメリカ社会と同じレベル
ですが、違うのは同時に同じペースで再婚していました。ですんで、家族で父親の
違う兄弟、母親の違う兄弟なんてのは、すごく当たり前でした。簡単に言えば、明治
時代以前の家族の血縁関係は非常に複雑で、もうぐちゃぐちゃだったと言えるでしょう。
その結果、村自体が一つの家族的共同体を形成し、村人はみんな兄弟のような感
覚だった訳です。

ちなみに、武家と大商人が、この大家族的共同体に加わらなかったのは、基本的に
財産問題があったからです。