建物には銃眼が10以上あり、重機関銃の銃口が外に向いていた。
打ち合わせ通り、殺害の開始を知らせる合図の笛がピーと鳴った。重機関銃が一斉に火を噴いた。
下士官は腹ばいの姿勢のまま、重機関銃の引き金を両手で弾き続けた。ダッダッダッダッという射撃音と振動が伝わる。
横からは銃弾が次々に装填された。疲れると座って撃った。1分間に600発、発射出来る。捕虜は右往左往する間もなくばたばたと倒れた。

冷却装置として銃についている放射筒が真っ赤になった。途中、別の兵と交代しながら撃ち続けた。
近くの揚子江に飛び込んだ捕虜もいたため、射撃は川にも及んだ。

捕虜が全員倒れ、死んだように見えたので重機関の射撃が止まった。
すると、倒れた捕虜の中から、あちらこちらで首をもたげる者がいた。「生きている者がいたぞ」。
再び笛が鳴り、重機関銃の掃射が始まった。空になった薬きょうが山になった。

南京陥落から4日目、盧溝橋事件が勃発して5カ月後の出来事だった。

(会津若松六十五連隊の記録)