>少女像でも建ててあれば今の青少年が私たちのつらい歴史を知って記憶できるでしょう

日本ほか南鮮以外の世界では(北朝鮮ですら)、人物の像といえば国の発展に貢献したり、大企業を興したりした人の功績を讃えて、なおかつその人にゆかりのある場所に建てるもの。
だが、南鮮に限っては単なる職業売春婦の像を、その人とは無関係の場所に建てまくっているんだから、宗教的な偶像と変わらん。
宗教的な偶像なら心のよりどころとしてポジティブな存在と言えるが、「つらい歴史の記憶」なんてネガティブなものを建てるのは、世界広しといえども南鮮だけ。
世界には奈良や鎌倉の大仏、リオのキリスト像のように観光資源になる像もあるっていうのに、南鮮の売春婦像にはそういった実益性もない。

まさに、エヴェンキのトーテムポールの流れを汲む「自己満足でしかないシロモノ」に過ぎず、それに気づけないうちは“後進国ですらない、後退国”と揶揄されるだけなんだが、永遠に気づかないのかも知れない。

1900年頃のソウル郊外。奇怪なトーテムポールを建てて礼拝する朝鮮人たち
http://livedoor.blogimg.jp/ksmworld/imgs/d/1/d1197b85.jpg