1月8日にはこうしたことが

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▲イ・ボンチャンの銅像[聯合ニュース資料写真]

誰の銅像でしょうか?すぐに答えることができれば韓国史の知識が良い方といえます。姿勢で答えがわかります。手に握った小道具は手榴弾です。そう。イ・ボンチャン義士です。

1932年1月8日、ものものしい警護の中、東京宮城に向かった日王ヒロヒトに手榴弾を投げました。86年前のことです。偉業前、イ義士は太極旗の前に立ちました。手には手榴弾を持ち、首には宣誓文をかけて明るく笑っています。死へ向かう道の前で笑う姿から、彼の強い信念を読むことができます。

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▲偉業前、太極旗前で[聯合ニュース資料写真]
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▲イ・ボンチャンの親筆宣誓文[聯合ニュース資料写真]「祖国の独立と自由を回復するために韓人愛国団の一員になって敵国の首魁を屠殺することを誓います」と記されています。
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▲偉業前、太極旗の前で[聯合ニュース資料写真]上の写真と比較すると厳粛で敬けんで緊張した表情です。

映画「暗殺」を見られた方々は似た場面が登場するのを覚えているでしょう。偉業は失敗しましたが、日本の首都のど真ん中で起きた点と偉業の相手が日王だった点で大韓国人の気概と抵抗を全世界に知らせた快挙でした。

イ義士はその年の秋、市ヶ谷刑務所で絞首刑を受け殉国しました。下の写真はイ義士が囚人が使う帽子をかぶって手錠をかけたまま日本警察に引きずられて行く姿です。死刑場へ行く姿なのかは確実ではありません。

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▲刑務所中で[聯合ニュース資料写真]

下は1932年9月30日付け朝日新聞にのせられたイ義士の写真です。「大逆犯人イ・ボンチャン」と書かれています。10日後の10月10日、イ義士は殉国しました。

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▲朝日新聞が報道したイ・ボンチャンの姿[聯合ニュース資料写真]

イ義士は解放後の1946年6月、故国に戻りました。一人ではありませんでした。ユン・ボンギル、ペク・チョンギ義士とともに帰ってきました。下の写真は三人の遺骨がソウル駅に到着する姿です。

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▲故国に帰ってきた三義士[聯合ニュース資料写真]

彼ら三人を私たちは「三義士」と呼びます。ソウル孝昌(ヒョチャン)公園内の「三義士墓」に並んで安置されています。安重根義士は遺骨が発見されず、今まで祖国に戻れず、三義士墓の隣りに仮墓のみ造成されています。

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▲殉国第44周年追慕祭[聯合ニュース資料写真]
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▲殉国第85周年追慕式[聯合ニュース資料写真]
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▲2006年1月8日、日本大使館前で開かれた偉業記念式[聯合ニュース資料写真]

ソース:聯合ニュース(韓国語) [写真今日]死向かった道前に立った彼の明るい笑み
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