>>901
山本有造氏の「日本植民地経済史研究」(名古屋大学出版会刊)によると、
こうした理由で総督府に接収された上地は約12万町歩、
また定められた期間に申告しなかったり、
所有権を証明する書類がないために接収された土地は2万7000町歩で、
合計14万7000町歩ということです。

1922年(大正11年)の時点で朝鮮における全耕地面債は450万町歩ですから、
土地調査により総督府が接収した土地は全耕地の3%ということになります。

ちなみに同年の日本人農業者所有土地面積は17万5000町歩、
東洋拓殖という国策会社の所有土地面債は8万町歩で、計25万5000町歩です。
これも全耕地面積の5.7%にしかなりません。

>一般的な朝鮮人の貧困は加速したんだが
『醜い韓国人』 朴泰赫 1993年 光文社より
日本人地主は、韓国人の小作人の間で、きわめて評判が良かった。
日本人がやってきてから、改良された堆肥を奨励したし、
化学肥料が配給されるかたわら、改良品種や、
進んだ農業技術を導入したので、収穫が増えたし、
農地開拓と河川整備を進めたので、村人の生活水準が大きく向上したからだ。

それに日本人地主は、昔の両班たちよりもはるかに寛容だった。
両班のように小作人(ソチクイン)である常人を
理不尽に苛めるようなことがなかったし、
不作のときには、小作料を安くしてくれた。
日本人地主のほうが、物わかりがよかった。

だから、日本人の地主は人気があった。
みんなは、韓国人の地主の小作人となるよりは、
日本人地主の小作人になりたがったのは、当然のことだった。
日本人のもとで働いていた常人たちは、羨望の自で見られていた。