太平洋戦争の真っ最中だった1943年、全羅北道全州(チョンジュ)に暮らしていた当時19歳のチュ・ソクポンさんは、福岡県北九州市の八幡製鐵所に徴用工として連れて行かれた。自身が徴用に行かなければ配給が切られ、家族が飢えるほかはないので徴用を避ける術はなかった。

 八幡製鐵所では、シャベルで土を運ぶ単純肉体労働をした。配給量が少なく常に空腹だった。“徴用”の文字が縫い付けられた服を着て通ったので、遠くへ逃げることもできず、逃げて捕まれば死ぬほど殴られた。月給は故郷へ送金すると言って支給されなかった。チュさんは20歳になった年に八幡製鐵所を後にした。徴兵令状のためだった。徴用と徴兵で二度動員された。

 チュさんの話は、民族問題研究所と日本の市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」が共同で作った世界遺産ガイドブック「『明治日本の産業革命遺産』と強制労働」に載っている。民族問題研究所と強制動員真相究明ネットワークは、このガイドブックを韓国語、日本語、英語で作り配布している。

 チュさんが動員された八幡製鐵所は、日本の重工業の発展を牽引した代表的製鉄所で、戦後に富士製鐵と合併し、新日本製鐵になった。浦項(ポハン)製鉄所設立の時、テクニカルサポートをした所が新日本製鐵だ。日本は、清日戦争の勝利で清国から莫大な賠償金を受け取った後、清から受け取った賠償金の80%を軍備拡張に使い、20%は八幡製鐵所の建設と鉄道、電信・電話事業に投資した。太平洋戦争時期、日本は八幡製鐵所で生産した鋼鉄で、軍艦、魚雷、戦闘機を作った。日本がユネスコに世界遺産として登録した「明治産業革命遺産」の一部である八幡製鐵所の歴史を少し掘り出してみれば、この施設を「産業革命の輝かしい成果」としてのみ見ることはできないという事実を知ることができる。

 日本政府は今年、明治維新150周年の祝賀ムードを作っている。安倍首相は4日、三重県にある伊勢神宮で開いた年頭記者会見で、今年が明治維新150周年という事実を強調した。伊勢神宮は日本王室の祖上神「天照大神」を祀る神社だ。

 安倍首相は「150年前、アジアに植民地支配の危機が迫った。私の故郷の長州(現山口県)では、松下村塾(明治維新時期の思想家である吉田松陰が講義をした私設教育機関)には、身分に関係なく若者たちが集まった」として「先祖は力を集めて国難と呼べる危機を克服し独立を守った」と話した。松下村塾に集まった若者の1人である伊藤博文は「元々農民出身だった」とも話した。日本が明治維新を通じて近代化を成し遂げ、「明治産業革命遺産」として日本が登録した八幡製鐵所も日本の近代化に重要な役割を担ったことは事実だ。

 しかし、日本が「明治産業革命遺産」という名前でユネスコ世界文化遺産に登録した八幡製鐵所、三池炭鉱、端島(軍艦島)炭鉱などには、朝鮮から動員された労働者の嘆息と涙がしみ込んでいる。日本政府は「明治産業革命遺産」ユネスコ登録当時、朝鮮人の労働について説明すると言ったが、最近の歩みを見れば懐疑的だ。

 日本政府は昨年末“軍艦島”朝鮮人強制労働に対する説明資料を、現地から1200キロメートル離れた首都東京に設置するという計画書をユネスコに出した。「明治産業革命遺産」を勝利と成果の歴史としてのみ記憶することはできないと考える。日本が「明治産業革命遺産」として申請した製鉄所と炭鉱には、朝鮮人と中国人労働者のみならず、貧しい日本人労働者の犠牲があったという点を記憶したい。

チョ・ギウォン東京特派員
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/828409.html
韓国語原文入力:2018-01-18 20:26

ソース:ハンギョレ新聞日本語版[特派員コラム]明治維新150周年と産業革命遺産
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/29536.html