【平壌1月22日発朝鮮中央通信】20世紀初めに朝鮮を不法に占領した日帝は、極悪非道な特大型の反人倫犯罪行為を数多く働いた。

その中には、1919年1月22日、日帝による朝鮮の高宗皇帝毒殺蛮行もある。

朝鮮封建王朝の最高代表者である高宗皇帝は、日本の侵略策動に極度の不満を表してそれを阻止させようとした。

日本が朝鮮に対する植民地支配権を確立するために「乙巳5条約」の締結を強要した時、初めから事前承認をせず、侵略者の威嚇と恐喝の中でもあくまで署名と玉璽捺印をしなかった。

1907年6月、オランダのハーグで開かれた第2回万国平和会議に3人の密使を派遣してこの条約の不法無効性を暴露するようにした。

当年、日帝が「丁未7条約」を強要した時も、事前承認と署名、玉璽捺印を拒否した。

高宗皇帝を目の上のこぶと見なしてきた日帝は、皇帝を強制退位させたあげく、毒殺した。

明らかにされたところによると、皇帝は日帝がそそのかした奸臣による毒薬入りの食事をしたが、皇帝が死亡した後に目は血色になっており、全身には赤い斑点が現れていたという。

日帝は皇帝を毒殺した後、その罪科を覆い隠すためにあがいた。

しかし、隠すことほど現わるものである。

1921年、中国の上海にあった「臨時政府」が作成、発表した「第2回独立宣言書」と高宗の庶子の親書には死体を検診した人々が皇帝の全身に赤い斑点と共に糜爛(びらん)が多く現れていることを発見して毒殺だと主張すると、日帝が彼らを投獄したという内容が書かれていた。

1919年当時、日本宮内庁会計審査局長官であったある日本人の日記には、日帝の初代「朝鮮総督」であった寺内が「乙巳5条約」を認めない高宗皇帝を毒殺することを指示したという話を聞いたという資料が記録されている。

こんにちも、日本は過去に朝鮮人民に働いた特大型の反人倫犯罪を正当化しようとしたり、隠ぺいするために狡猾(こうかつ)で破廉恥に策動している。

日本は、犯罪の歴史に対して謝罪し、賠償すべきである。−−−

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