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未だ日本が自衛隊すら持たなかった1952年、韓国大統領の李承晩(リ・ショウバン)は、
公海上に「李承晩ライン」と呼ばれる漁船立入禁止線を一方的に宣言し、漁を行っていた日本人船員2791人を拉致した。(実際には3929人とする調査結果あり)
そのうち数十人は韓国軍隊によって殺された。

拉致された船員達の獄中生活は悲惨を極めた。六畳程度の雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。
刑務官から殴る蹴るの暴行を受け、食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚はとても人間の食べる物ではなかった。
ほぼ全員が栄養失調状態となり、餓死者まで出た。残された家族には精神を病み、自殺した妻もいた。

漁船乗組員 石田儀一郎の手紙には「異国刑務所においてはこの世の地獄の生活を味わった」と書かれていた。

韓国は抑留者を人質として1965年の日韓基本条約の締結に際して、当時の韓国の国家予算の2倍以上の金を脅し取った。

後に韓国政府は抑留者の返還と引き換えに、日本で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されている在日韓国人を釈放することを要求した。
日本政府はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。