『イグジステンズ』原題/eXistenZ/1999年/カナダ・イギリス/ジャンル・監督クローネンバーグ

『イグジステンズ』とは劇中に出て来るビデオゲームのタイトルで造語である。
映画は自身の『ヴィデオドローム』(1983年)の変奏。家庭用VTRの普及と耽溺がヒトに及ぼす不可逆的、生理的変容〜変質を
強迫的に描いたこのカルトフィルムに対して、今度はビデオゲームの野放図な進化とそれへの没入によって現実とVR空間の
区別が消失する状況をいつも通り、結構な屈折と悪意を持って描いて見せる。登場するのは『突然変異させた両生類の有精卵から
作られたゲーム機及びデバイス』で、ゲーム機自体、畸形的で肌色の肉質でできた巨大な『耳朶』のような造形であるw
さらにこれが故障すると、一部が変色し膿を孕んだ悪性の腫瘍のような外見を呈するw なんか呼吸だか痙攣だかしてやがるしw
で、プレイヤーがこれを遊ぶためには自分の脊椎に外科手術的に『ポート』を開く必要がある上、そこに接続するのは腸のような
肉質の神経束だったりする。このケーブルに限らず、出て来るガジェットがいちいち念入りにキモイ。
肉のこびりついた骨片を組み合わせて作られた『拳銃』から発射されるのはヒトの奥歯であるとかw
 
ビデオゲーム全般に対して否定的肯定的以前に、クロはゲームの知識〜経験はあまりないらしく、RPGとアクションゲームの
区別すら曖昧だ。基本クロの興味はビデオだろうがゲームだろうが、『快楽的な何かに没入した果ての病理とその可視化』に
ある、と言うよりそこにしか興味がなかったのだな、少なくともこの頃は。その意味で彼の映画は冷笑的ではあっても、決して
警告的ではない。要するにクロは『病人を眺めるのが趣味、しかもなるべく奇病の』という、とても頭のいいド変態なのだw
 
『多人数参加型オンラインゲームに耽溺してリアルとの境界が不安定化、希薄化に至る物語』としては『ウィザードリー』を
システム的に援用した高畑京一郎のラノベ、『クリス・クロス 混沌の魔王』(1994年/なぜかハードカバーで出版されたw)が
やや先行するが、80年代末期から始まったPC〜ネットの普及がヒトに何を齎すかを描いたフィクションとしては、
前世紀前半〜半ばのクラークやディックその他先達の長い影の中に属する。
しかしw なぜヒトは『何かの普及』に対してしばしば積極的に不安や恐怖や嫌悪を感じたがるのだろうか?w
 
※地雷率/個人的には面白いが とにかくなにしろ徹頭徹尾 グロ注意