0885師・正篤翁”偈” ◆Z3KApfTnPg
2018/02/16(金) 13:55:26.60ID:3grz6lfs時は、昭和38年8月29日
那須御用邸に滞在中の天皇は宮内庁記者団と会った際、次男の義宮(常陸宮)の結婚について質問を受けた
最初に「池田厚子さんが病気になられ、ご心配のことと思います。ご容体はいかかですか」と伺うと陛下は
「その言葉、ありがとう」と一瞬お声を詰まらせ「岡山大学の先生が献身的にやってくれている。だいぶ落ち着いてきたようなので
安心している」と述べられた
義宮様のご結婚については「まわりの者が考えてくれているところです」
両陛下とも、一日も早くお嫁さんが決まるのを待ちかねている、といったご表情。
これは、昭和38年8月30日の朝日新聞に載った記事である
最初にこの質問をした記者は朝日新聞の記者ではないか
天皇陛下が、一新聞記者に「ありがとう」の言葉を手向けられたのは後にも先にも、これ一度ではなかろうか…