ウトロの歴史
・京都飛行場と、併設の飛行機工場の建設工事の為の朝鮮人従事者約1300名の為1943年建造の飯場(宿泊設備)が現在のウトロ地区の前身
・1300人の朝鮮人労働者達は、殆どが経済的理由や兵役免れなどで移住してきた者
 或いは、元から日本に居住していた朝鮮人。強制連行の嘘がばれてます。
・終戦と同時に飛行場の建設が中止されると彼らが居座る理由も法的な根拠も無いのに  不法に残留し続け私有地の不法占拠
・土地所有者日産車体は1987年自称ウトロ自治会長を許昌九に3億で売却
 2ヶ月後西日本殖産に4億4500万円で転売
・1989年西日本殖産、不法住民側提訴。2000年最高裁にてウトロ地区住民側の全面敗訴
・募金約6500万円韓国政府の支援金約2億円弱でほぼ半分(3800平米)の土地購入
・その土地を無償で借りなぜかしら、公営住宅建設決定
・約60世帯180人の住人は再開発の際に建てられる市営住宅に住むことになるとされてい る
・2017年12月27日に40世帯分の市営住宅1期棟が完成