今の朝鮮人の祖父母の時代の家は藁葺に泥壁の家で便所すらなかった。 
そんな未開人の面倒は日本が見ろとセオドア・ルーズベルトが言った。
「ウチはごめんだ」と米国は公館を畳んで外交も絶った。日露戦争直後のことだ。日本も嫌だった。

この国の愚かさゆえに日本は日清、日露と2度の戦争を強いられ12万兵士を死なせた。だから、5年間保護領にし、インフラを整備して自立を待った。
が、彼らはがやがや騒ぐだけ。挙句に併合反対の伊藤博文まで暗殺してしまった。

かくて「禍は人間性教育で取り除く」併合策が取られ、いわゆる日帝支配36年間が始まった。日本はその間、国家予算の2割を半島に注ぎ、
秘境に文明の光を当て続けた。保護領時代に釜山からソウル、さらに北の果て新義州を結ぶ半島縦断鉄道を開通させた。
この鉄道は満鉄、シベリア鉄道とも接続し、日帝支配3年目には秘境の民はソウルでロンドン行の切符を買えるようにまでなった。
日本は学校を作り、今のハングル文字を教え、発電所を立てて家々に文明を灯した。

日本は英米との戦争に敗れ、この面倒な民を米ソが後見することになった。