132 名前: つづきぢゃ 投稿日: 2000/06/06(火) 18:57

さて、どういうつもりぢゃったのか、北鮮のほうも、日本からの帰
国を受け入れるなどと宣伝しおって、大方の日本人は大いに同情し
て、人道上の見地からなんとかならんものかと奔走する御仁も出て
きてな、なんとか実現にまでこぎつけたのぢゃよ。
(昭和33年、金日成が帰国歓迎の演説を行う)
なにやら、日本が気に食わんと騒いでおった鮮人どもも、これでや
っと落ち着き先が出来たのかと、あまり鮮人に好意的ではなかった
日本人でも、大いに歓迎したものぢゃ。

そうそう、吉永小百合という女優さんがおるぢゃろ、まだ子役だっ
たころに「キューポラのある街」という映画があっての、その中で
友達の鮮人役の子が、「今度国に帰ることになったの」というのに
「そう、よかったわね」と答える場面があったのう。

これが、当時の日本人の本当の気持であったの。

なに、吉永小百合を知らんとな?

ふむ、原節子嬢も美しかったが、小百合さんもまたこれで、なかな
かぢゃったが。ま、これはどうでも良いことかの。

この帰国事業というのは、現代史上の珍事と言われておっての、な
んでまた、こんなことが起きたのか、世界中のひとが首をかしげる
話ぢゃて。

なんせ、東欧やベルリンに始まって、ベトナムのなんといったかの、
そうぢゃ、ボートピープルというやつまで、共産党の支配を嫌って
逃げ出すひとびとはいくらでもいたが、主義にかぶれたごく少数を
除けば、わざわざ家族ごと共産党支配の国に集団移住した例など他
にないでの。