赤兎馬

赤兎馬は稀代の名馬で、一日に千里を駆けることができた。

はじめ董卓が持っていたが、呂布とその養父の丁原を離間させるために李粛の策で呂布に贈られた。
呂布はその見返りに丁原を殺し董卓に仕えたが、赤兎馬は後に呂布を討った曹操の手に移る。
しかし赤兎馬は気性が荒く誰にも乗りこなせずにいた。
当時曹操は関羽を自分の部下にしたいがために軟禁状態に置き、気を引くために様々な贈り物を与えていた。
しかし一向に効果がなかったため、「貴殿なら乗りこなせるだろう」と赤兎馬を与えたところ彼は見事にそれを乗りこなした。
さらに、それまで何を贈っても喜ばなかった関羽が大喜びしたので、曹操はその理由を尋ねた。
関羽は「この馬は1日に千里を駆けると知っております。
今幸いにこれを得て、もし兄者(劉備)の行方が知れましたら、一日にして会うことが出来ましょうぞ」と
答えたために曹操は愕然とし、また後悔した。

そののち、関羽が処刑された後は、呉の馬忠に与えられたが、馬草を食わなくなって死んだという。