>>1の続き。


我々には歴史上似たような経験がある。忘れているだけだ。19世紀末の朝鮮は青年を「修信使」「紳士遊覧団」などの名で日本に派遣した。「開化派」と呼ばれる勢力が時の舞台に登場するきっかけだった。「親日派」と卑下して呼ぶが、国を売った朝鮮末期の親日派とは質が異なった。

しかし、朝鮮は情勢が変わるたびに、彼らを切り捨てた。金弘集(キム・ホンジプ)、洪英植(ホン・ヨンシク)、魚允中(オ・ユンジュン)は悲惨な死を迎え、兪吉濬(ユ・ギルジュン)、徐載弼(ソ・ジェピル)は国を去った。いずれも忠臣たちだった。

日本も当時全ての局面で成功していたわけではない。壬午軍乱(1882年)、甲申政変(1884年)、俄館播遷(露館播遷、1896−97)は日本にとっても外交上の「災難」だったが、人材を捨てはしなかった。小村寿太郎や原敬のような有能な官僚、井上馨のような有力政治家を駐朝鮮公使(現在の大使)として配置した。

後に外相となった小村は当時の経験に基づき、朝鮮併合を主導した。原は首相に出世した。世の中を見る視野の差が人材の差を生み、人の能力差が歴史の差を生んだ。

文在寅(ムン・ジェイン)政権の要職には日本専門家がいない。日本の本当の姿を知るのは、新聞記者時代に日本特派員を経験した李洛淵(イ・ナギョン)首相が唯一だとも言われる。外交部のおかしな人事のように、現在いる専門家も追い出してしまう。韓国政府は日本を米中の動き次第の「従属変数」と考えているようだ。

中国とロシアさえ相手にしていれば、日本は勝手に動くと考える朝鮮の宮廷の世界観に似ている。その一方で、軍国主義日本が韓国を呑み込むと心配する。極端と極端を行き交い、実力を育てようとしない。

今の日本に韓国を呑み込む能力はない。しかし、北東アジアの外交の主役として、大国を料理し、韓半島の運命に決定的な役割を与え得る能力を備えている。韓国に有利な形でその能力が発揮されるように日本と付き合わなければならない。

日本は韓国に不利となる方向で能力を使おうとしている。このままでは韓国は日本にまたもやられる。今回は知らず知らずのうちにやられかねない。


>>おわり。