>実際の慰安婦被害者だった故ユン・ドゥリおばあちゃん

証言が怪しい人か。
https://plaza.rakuten.co.jp/hijai/diary/201708220000/
>朝鮮日報日本語版のコラム「慰安婦合意にはらわたが煮えくり返る日本の極右」には明らかに慰安婦ではなかった女性を
>慰安婦としている。元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が偽の慰安婦を慰安婦だと書いている。

> 中学生の娘がいる。自分ではもう子どもじゃないと思っているようだが、私からすればまだ産毛が生えているようなものだ。
>世の中のことも分かっていない。強く育てなければと思いながら、少し寒い日に子どもが靴下だけ履いて登校すると、「厚手
>のタイツを履かせれば良かった」という思いが一日中頭を巡る。だから元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺
>対協)」が発行した従軍慰安婦証言集を読んだ時、思わず力が入った。
>13歳の時、静岡県内の慰安所で天皇の降伏放送(日本で言う玉音放送)を聞いたという元慰安婦の女性がいた。戦争が終
>わったのに、すぐには解放されなかった。「母のことばかり考えていた」と言った。
>敗戦直前、見かねた日本軍将校がこっそり脱出させてくれたという元慰安婦の女性も1人いた。だが、圧倒的に多数の元慰
>安婦女性はニューギニアで、パラオで、生まれてこの方名前も聞いたことのない南太平洋の小さな島で最後まで日本軍兵士
>の相手をした。
>証言は一つ一つどれも悲惨だった。例えば、ユン・ドゥリさん(2009年死去)は15歳の時、警察署の前を歩いていた時、巡査
>と業者に「良い所に就職させてやる」と言われ、その日の夜に軍用トラックに乗った。後に慰安所から逃げようとして見つかり、
>銃で撃たれた。傷が化膿(かのう)して肉がえぐれたが、手術を受けて3日目にまた慰安所に行った。ユン・ドゥリさんは「この時
>が一番つらかった」「横にもなれないのに、軍人の相手をしろと言われ、とても痛かった」と言った。17歳の時まで1年11カ月間、
>1日30‐40人の相手をした。「とにかく死なない限り、兵士の相手をしなければならなかった」という。
>「朝鮮日報日本語版 12月31日」
> 日本国内に慰安所ができたのは沖縄だけである。静岡県に慰安所があったというのは嘘である。日本国内にあったのは遊郭
>である。遊郭の遊女(売春婦)は18歳以上でなければならなかった。18未満は遊女になれなかった。明治時代に遊女の人権を
>守るために「娼妓取締り規則」という法律ができた。その法律には18歳未満が「娼妓」になることを禁じていた。
> 13歳の時に静岡県内の慰安所に居たということに二つの間違いがある。13歳で慰安婦になることはできなかったということと
>静岡県に慰安所はなかったということである。そこは違法な売春宿であっただろう。
> ユン・ドゥリさんの話も嘘である。15歳では慰安婦になれないこと。朝鮮で慰安婦になるには警察に自分の意思で慰安婦に
>なることと、両親や縁者などの許可が必要であり、その書類を警察に提出しなければならなかった。その書類は日本軍の輸送隊
>に渡り、現地の憲兵隊に渡された。現地では憲兵による面接もあった。
> ユン・ドゥリさんの話では慰安婦のあくどい勧誘に警察が関わっているが、それは慰安婦になるためには警察に申し出なければ
>ならなかったことをゆがめて話しているからである