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Dr. Woodbe
正義の概念

正義への懐疑
 法にとって正義は避けて通ることのできない価値である。
自らを不正である、と主張する法は存在しない。
「それは正義だから行うべきだ」あるいは「それは不正であるから行ってはいけない」と法は命令する。
 だが、正義とは一体何を指し示すのか、その中身は必ずしも明らかではない。
一方で、「普遍的な正義など存在せず、個々人が自分に都合の良いことを『正義』として主張するだけだ」という主張もしばしば目にする。「正義とは強者の利益である」などとうそぶく人も少なくない。
果たしてそうだろうか。
正義に対して、そのような批判を行う者も、実は「現状は正義にかなっていない」あるいは「今の『正義』は実は不正である」ということを意味
しているだけではないだろうか?

正義には皆の了解がある
 本来、何が正義であるかについての皆の了解が成立していなければ、
「不正である」と非難したところで、意味がないはずである。
にもかかわらず、我々は「不正である」という非難が無意味とは考えていないし、むしろどんな相手に対しても非難として有効だと思っている。
 このことは、我々が「正義」が何であるかについては多様な考えを持っているにもかかわらず、
何が不正であるかについて暗黙のうちに合意していることを示している。
つまり、「何が正義でないか」が暗黙に分かっているのだから、「何が正義であるか」の条件の一部は少なくとも分かっているわけだ。