起来! 不願做奴隸的人們!(起て、奴隷になることを願わぬ人々よ)」中共軍は圧倒的な国民政府軍の攻勢に、
延安に閉じこもる山賊程度の存在に過ぎなかったろう。
中国人の風俗というと手品師のゼンジー北京さんみたいな服装や弁髪を思い出す。しかし中国人の典型と思われているあの風俗は漢民族のものでなく清国をつくった女真民族のものだ。
1644年、清国が建国されたさい「薙髪令」が発令された。女真固有の髪型である弁髪にしないと死刑になるという法律だった。漢民族は抵抗したらしいが「薙髪令」は1911年まで268年間続いた。
清の時代、漢人が政界官界で活躍したという話をほとんど聞かない。この時代、漢民族は髪型だけで死刑になった。300年近くものあいだ事実上、奴隷状態にあったということだ。
朝鮮は1910年の日韓併合から1945年まで植民地になったが、期間は35年で、待遇は日本人とほぼ同等だった。実は中国人の歴史のほうが、朝鮮人の歴史よりはるかに悲惨なものだった。
現在の中国人民の実に93%までがこの奴隷扱いされてきた漢民族の子孫だ。この境遇の中で漢民族は「痰を吐く」ような文化しか子孫に伝えてこなかった。
漢民族の伝統文化は明の滅亡で断絶してしまった。今の中華人民共和国は漢民族国家といっていいだろうが、伝統を軽視する共産主義国家だ。
しかも文化大革命によってペンペン草も生えない文化の砂漠と化してしまった。
今の中国に大儒教学者がいるとか漢詩の大家がいるといった話をきかない。継承されてこなかったからである。
話は多少それるが、共産革命は農奴という奴隷階級が存在したロシアと事実上、民族丸ごと奴隷状態にあった漢民族が起こした革命だった。
きわめて成熟度、民度の低い社会でのみ起ったのが共産革命の特長だった。
以上のような悲惨な民族の歴史、事実が公共心がなく、礼儀知らず、すぐに痰を吐く中国人の特性を育んできた。逆「ローマは1日にしてならず」である。