【韓国】 「1億3千万の日本人の永遠の師・王仁。もしいなかったら今日の日本はない」〜「霊岩王仁博士文化祭り」開催★2[03/19]
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-百済人・王仁、日本に渡って論語・千字文を教えた
-日本に伝えたのは漢子(記事のママ)だけだろうか?豆腐と陶磁器も私たちが元祖
全南(チョンナム)霊岩(ヨンアム)の人々は毎年、大韓民国と日本に向かって訊ねる。「1億3千万の日本人たちの永遠の師匠・王仁博士をご存知ですか?」と。
日本、飛鳥文化の始祖と賞賛される王仁博士の出生地であり発祥地である霊岩では毎年、王仁博士を賛える大祭典「霊岩王仁博士文化祭り」が開かれる。今年は4月5日から8日まで、王仁博士の遺跡と上台浦(サンデポ)歴史公園一帯で幕を上げる。
王仁博士は百済人だ。日本・応神天皇の招へいで論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡った。引き続き応神天皇の信任を受けて太子の師匠になったと伝えられる。王仁の子孫は代々、日本で学問関連の重責を引き受けて日本朝廷に奉仕した。
結果的に王仁博士とその子孫は日本文化の発展に大変な貢献をした。そのため日本の歴史で古事記と日本書紀に王仁という名前三文字(訳注:ハングルでもワン・インの二文字)が鮮やかに現れている。
http://cdn.youngnong.co.kr/news/photo/201803/7815_5930_1342.jpg
▲王仁博士のキャラクター[出処=王仁博士の村ホームページ]
異論もあるが、<沸流、百済と日本の国家起源/キム・ソンホ>という本には温祚王の兄弟の沸流が高句麗の侵攻により日本に渡って、西暦397年に日本に亡命政府をたて、日本天皇国の起源になったという内容が記述されている。
また、明仁日本王も「私としては桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫だと続日本紀に記録されており、韓国との縁を感じる。武寧王は日本との関係が深く、この時以来,五経博士が代々日本に招へいされた。武寧王の息子、聖王は日本に仏教を伝えたことが分かっている」と話すことによって日本天皇家が百済の子孫であることを自ら認めた。
(後略:霊岩への観光案内)
イ・ビョンノ記者
ソース:)韓国営農新聞(韓国語) 「王仁がなかったとすれば今日の日本はない」霊岩王仁文化祭り
http://www.youngnong.co.kr/news/articleView.html?idxno=7815
前スレ:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1521564249/
★1の立った時間:2018/03/21(水) 01:44:09.66 困った資料が発見されましたw
■「新羅は倭の属国」との記述が韓国の古代史研究の第1級資料から見つかる
「梁職貢図」から新羅・高句麗題起が発見 2011-08-23 13:00
新しくあらわれた梁職貢図新羅題記
青黛文集から捜し出して..ユン・ヨング博士公開 「新羅は倭の属国」論議予告
(ソウル=聯合ニュース)キム・テシク記者=韓国古代史研究の第1級資料の中の一つと見なされる梁職貢図から
永遠に消えたと見なされた新羅と高句麗に対する簡略な説明の題記が最近発見された。
特に今回発見された新羅に対する題記には新羅が倭の属国という一節があっていわゆる任那日本府説と
かみ合わさって論議がおきる展望だ。
韓国古代社専攻の仁川(インチョン)都市開発公社ユン・ヨング博士は去る20日西江(ソガン)大茶山館で
行われた新羅史学会(フェチャン、キム・チャンギョム)第107回学術発表会を通じて中国で最近発見報告
された梁職貢図題起を分析、紹介した。
ユン博士は今回公開された梁職貢図題記を南京博物館旧蔵本の梁職貢図版本と比較した結果、
「新羅と高句麗を含んだ7ヶ国の題起は完全に新しく出現した資料で、合わせて百済と倭国を
はじめとして既に 知らされた9ヶ国の題起も内容で差が小さくない」と話した。(中略)
ユン博士はこの内容中でも「新羅が倭国に属したりもした」という言及が新しく現れた大きな課題であり、
これをどのように受け入れるかによって歴史学界で論議が広がることがありうると付け加えた。
詳しくは
↓
http://blog.livedoor.jp/cyoncyonaho/archives/1068025324.html ■天皇陛下の「ゆかり」発言を意図的に曲解し、日本の皇室は朝鮮半島由来と捏造する朝鮮人たち■
翌年にサッカー2002年日韓共催ワールドカップを控えた平成13年(2001年)12月23日、天皇陛下は、
68歳の誕生日に先立つ記者会見の席で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)
の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と仰せられた。
この天皇陛下のリップサービスをもって、その後韓国人どもは「日本王家のルーツは韓国の百済(346〜660年)王家」
と言いふらしている。しかし、日本の皇室のルーツが百済王族だということは絶対に有り得ない。
「ゆかり」は飽くまで「ゆかり」に過ぎない。
百済の「武寧王」も、その父の「東城王」も、朝鮮半島で生まれたのではなく、日本(九州)で生まれて
日本から朝鮮半島に渡って行った人物だ。
更に、日本から朝鮮半島に渡って行った「武寧王」の子「純陀太子」は、日本に人質として来て、その子孫は
そのまま日本に住み着いた。
4世紀頃(391年、倭が、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった「広開土王碑」)から
7世紀(白村江の戦い)まで、朝鮮半島は九州などと同様に日本(倭国)の一部だったという時代背景を忘れてはならない。
つまり、百済というのは昔から日本(倭国)の一地方であり、百済王は、天皇によって決められ、日本(九州など)
生れの「東城王(末多王)」や「武寧王」などが日本(九州など)から朝鮮半島に渡って行って即位していた。
日本に戻って来た武寧王の子「純陀太子」以下の子孫は、そのままずっと日本に住み着いた。
父「武寧王」(日本人)の祖国「日本」に戻った「純陀太子」から数えて9世(9代目)の子孫の一人が和乙継で、
10世(10代目)が桓武天皇の生母となった高野新笠だ。
はっきり言って、皇室と韓国とのゆかりは無いに等しい。つまり、天皇陛下の祖先に朝鮮半島の血筋は入っていない
http://blog.livedoor.jp/itouansatu/archives/56616254.html
古代・朝鮮半島の王国の一つだった百済の武寧王(在位501〜523年)は父・東成王が日本(倭)からやってきた
日本人と伝えられ、韓国・公州で発掘された武寧王陵の木棺の材質も日本原産の「コウヤマキ」だったことが明らかになっている。
古代の百済と日本の「ゆかり」を物語るものだが、桓武天皇(在位781〜806年)は武寧王時代から300年近く後の人である。
百済は660年、唐(中国)と手を組んだ新羅によって滅ぼされた。日本に亡命していた百済勢力の要請を受けた日本は、
百済復興のため4万人もの支援軍を旧百済の地に派遣する。これが唐・新羅VS日本・百済による「白村江の戦い」(663年)である。 まあ凄い昔はどうでもいいが、昔から朝鮮人は尊敬するに値しないだけ で?証拠は???
古墳は日本の方が古いし日本の古墳技術って証明されてるし
ま、それ以前に背乗りエヴェンキ族なんか関係ないだろ 韓国人はこの記事信じちゃうんだろ?
本当に無知過ぎる民族だな 中国人を勝手に韓国人扱いするあたり、韓国記事だなぁ >>1
エピソード全体を見たら
良い家庭教師を皇太子に欲しいと言う話。
既に天皇は漢字の読み書きができるだろ。Jk >>303
日本武尊
日本と書いたからと言ってもな。
日本府をどう読んだか確定しないわな。 >>1
日本書紀じゃ日本に徴され(召し出され)、古事記じゃ百済から献じられてんのに、
よくこれで恩に着せようと思えるなw
半島に漢字を伝えた中国人は顕彰してんのかいな?
あ、漢字は韓字と言って韓国起源なんだっけw
じゃあ新羅脱解王や瓢公を生んだ日本に感謝してる?
日本に貢女した妃が生んだ嶋王が百済武寧王になったことは?
無理だよねぇw
感謝って和製漢語が入ってくるまで感謝の概念がなかったんだからw 王仁がいなければもっと日本は繁栄していたかもしれない
その可能性に言及しないのは片手落ちでしょう >>309
楽浪郡を含む漢の四郡の漢人が、
高句麗や百済に入り、また一部が日本にも来ていた。
王仁もその一人と考えられるんだけど、
朝鮮人は単一民族史観でしか歴史を見れなくなっている。 王仁なんて居ても居なくても影響なし
韓国人に言われるまで知らなかったし 先生民族に対する感謝の気持ち
忘れないように子供たちに教えてあげていきたいですね だから韓国人に「王」姓は居ないって言ってんだろが! >>325
高麗から李氏朝鮮に政権が代わる時に高麗の王族である王氏が弾圧された
その弾圧から逃れるために王の姓を持つ人々は金とか全とかに姓を変えたんだったか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています