私は当時、このような文章をインターネットに掲載した。

<以上の観点から、私はキム・デジュン大統領の一方的な謝罪に反対して糾弾するものである。キム・デジュン個人が謝罪することも問題だが、まして国軍の最高司令官として韓国現代史の正統性を守らなければならない大統領として、韓国の誇り高い過去を無効視する謝罪を国民と国軍の同意なしにしたということは、大きな間違いである。

彼の謝罪は、次のような問題がある。

第一に、国家元首である大統領の謝罪は、大韓民国が謝罪することである。大韓民国の歴史観は、ベトナム戦争参戦は誇るべきことだった、謝罪しなければならないことはなかった。一部のマスコミと左派が検証もされていない虐殺説を持ち出して、ベトナム派兵を罪悪視する主張を展開したが、多くの国民と国軍の考えはベトナム派兵が韓国の発展に画期的な貢献をしたというものだった。大統領がこのような歴史観を変えるためには、多くの議論や討論を経なければならず、非常に慎重に行わなければならない。キム・ヨンサム政府時代、キム・スクヒ長官がベトナム派兵に対して傭兵云々して、軍将校たちの反発で辞職したことがある。今回のキム大統領の発言が持っている重さは、キム長官と比較できない。

第二に、キム・デジュン大統領の謝罪が大韓民国のアイデンティティを揺るがしたことである。共産国家の元首にその共産国家の違法な侵略行為−革命の企図を防ぐことが間違っていたと謝罪したわけだが、それならば共産化は当然のこととみなすのか気になる。ベトナムの共産統一がベトナム人に果たして幸福をもたらしたのか、不幸をもたらしたのか、まだ速断することではない。共産化後に発生したボートピープルの悲劇は、共産統一が国民の自由を抑圧し、経済を遅れさせたことを証明する。遅れてベトナム政府が資本主義市場の論理を受け入れ、改革開放に乗り出している。キム大統領の謝罪は共産統一は善であり、これを防ごうとした自由世界の反共行動は謝罪すべき悪であるという感じを与える可能性もある。

第三に、キム大統領の謝罪は1960年代−1970年代を生きた世代から思い出を奪っていく行動だ。若者たちがベトナムに行って苦労しているので、国内にいる我々も懸命に働こうというふうに社会の雰囲気が高揚していた。戦線を持っている国はいつも緊張するものだ。我々はこの緊張を国家建設によく活用したのである。我々の胸の片隅には「勇者は何も言わずに海を渡った。自由より尊いことがあるなら話せ」という軍歌の歌詞のように、韓国ももう他の国の自由を守るほどに成長したという自負心があった。キム大統領の謝罪はこの誇らしい栄光の時代に泥を塗ることである。大統領はベトナム戦争世代の誇りと思い出を奪う資格がない人だ。

覆水盆に返らずだ。また入れるためには、新しい水を汲んで来なければならない。まず、ベトナム戦争参戦団体と除隊軍人がキム大統領の謝罪をキャンセルさせる方向で意見や行動を集めなければならならない。ベトナム戦争世代はこう叫ぶだろう。私の青春を返せ!

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