当時の日本は「不拡大方針」であり、軍部も「日米開戦回避」だった。
総力戦研究所も「日米開戦ならば日本必負。」と報告書を上げてた。

日本軍上層部は、荒ぶる若手将校を必死になだめていた。
政府も害務省を中心に、必死に日米交渉に一途の望みをかけてた。

さて、世界初の狂産革命を起こしたソ連。
各地に秘密地下組織コミンテルンを構築してた。
狙いは世界同時暴力革命による「狂産革命」、世界の国を共産主義にすることであった。
そのためには世界終末戦争で混乱と疲弊の中で狂産革命を起こすのは好都合だった。

ソ連も世界大戦を起こすべく工作活動をした。
何とホワイトハウス内部にもコミンテルンは浸潤し、ルーズベルトの側近もソ連のスパイで日米開戦→米国の参戦を煽ってた。
支那の蒋介石も、ルーズベルトに日本軍のしてもないことを捏造して、ダメリカの対日参戦を要求してた。
チャーチルの意を受けたイギリスのスパイ機関も、米国の対日参戦を工作してた。

ソ連のコミンテルンは、支那の内陸部の貧しい百姓を洗脳し毛沢東を首領に勢力を拡大し、エベンキランドにも手を広げつつあった。
日本国内にも浸潤し、官僚養成所だったトンキン帝國大学にもコミンテルン組織があったことが発覚し、日本政府は驚愕した。
このままでは日本が赤化すると強い危機感を持った。

コミンテルンはマスゴミにも入り込み、アサヒ便所紙は日本狂産化のために「日米開戦」を連日煽った。
「政府は腰抜け!」「日本軍は弱腰!」と書き殴り、世論を戦争へと誘導した。
日本国土が戦火で焼けて疲弊すれば、その混乱に乗じて日本の赤化革命が成功するという邪悪。
アサヒ便所紙は戦前・戦中・戦後一貫して「反日」であり、日本解体のために動いてる売国奴。

もう日本が望まなくても、世界中で歯車が「日米開戦」へ動いてた。
日米開戦回避・不拡大方針を掲げ、必死に戦争を避ける大日本帝國が可哀そうになるくらいに。