元慰安婦・文玉珠(ムン・オクチュ)も、12歳の時(1936年)、
母親の反対を押し切って、自分で必要な書類を用意して九州に渡り、
大牟田の朝鮮人鉱夫向けの遊郭「釜山館」で雑用・下働きをしたと書いてたな。
その後、一旦朝鮮の大邱(テグ)に戻るが、
16歳の時に満州へ行って遊郭で働き、
18歳の時にはビルマへ。
ビルマ行きの時も、母にも知らせず自分で決めて
友人と一緒に汽車に乗ったと書いてあった。

「文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私」(梨の木舎 1996年2月初版)
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慰安婦にも同じような家出少女が多かったんだろな。