>>1の続き。


政府は、鄭教授の朝鮮学校卒業、99年に在日本朝鮮人総聯合会(総聯)傘下の朝鮮青年同盟の代表団として訪朝したこと、朝鮮総聯傘下の青年組織の幹部活動などを問題視した。これに対して彼は、2009年8月に「旅行証明書発給拒否を取り消してほしい」という行政訴訟を起こした。

彼を支持する人々は「朝鮮籍は韓国も北朝鮮も日本も選択しない無国籍者」であり、彼らの選択と人権を保障しなければならないと主張した。1審は「旅行証明書を発給しても国家の安全保障と秩序維持、公共福利を害すると見なすことはできない」として鄭教授に軍配を上げたが、控訴審と最高裁判所は「訪朝活動などを考慮すると、旅行証明書発給を拒否したのは適法だ」と判断した。

裁判の結果と関係なく、鄭教授は深い悩みに陥ったという。「朝鮮籍の中には無国籍者という意識を持つ人もいるが、私は『南か北か』と問うならば『北ではないわけじゃない』と思うんです。しかし、こう言うと韓国の枠組みでは『それで結局北を選んだというわけだ』としか解釈できません」。

彼は「日本で生まれ育った私が民族を想像したり、朝鮮半島に行きたいなど親近感を感じるのは自然なことではなく、相当な努力が必要なことだ。民族という感覚を北と密接な関係を持った朝鮮学校を通じて得たが、南に行くためにそれを否定したくはなかった」と語った。

彼の祖父は慶尚南道固城(コソン)で生まれた。彼は故郷へ帰る権利、故国を訪問する権利は、韓国あるいは北朝鮮に対する支持とは関係のない、民族という別の次元の問題だと考える。「日本の植民地支配で『朝鮮籍』ができ、南北分断で故国を訪れられないようになったため、その責任は植民地の被害者の子孫である私ではなく、南北分断政府にある」と指摘した。民族が基準になれば、南と北の区分は無意味ということだ。

70年以上「南と北」という枠の外で生きてきた朝鮮籍の現実を理解するには、「南か北か」という質問は狭い。鄭教授の祖父は朝鮮籍を選んだが、故郷を訪問したいために2000年代に入り韓国国籍を取得した。他の家族も韓国国籍を持っている。

「次の入国」を確約できない鄭教授は、この言葉を必ず伝えたいと言った。「私が望むのは、韓国の観点で朝鮮籍のイメージを描かないでほしいということです。代わりに植民地の歴史、南北関係、海外同胞を前提に朝鮮籍の人生をそのまま受け入れてほしい。『南か北か』を超えた質問を改めてして下さい」


>>おわり。