【国際】日帝に5ドルで奪われた大韓帝国公使館、113年ぶり太極旗[05/16]
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米ワシントンのホワイトハウスから北東に約1.4キロ、ロータリー「ローガンサークル」の上側の出口にビクトリア様式の地下1階、地上3階の赤いレンガの建物が見える。13番街1500番地。旧韓末の1889年、外交官が初めて入居した130年前の姿をそのまま復元した在米大韓帝国公使館だ。1910年に日本にわずか5ドルで奪われた建物を2012年に350万ドルで取り戻し、6年かけて徹底的な考証と復元工事を終えた。近代の対米外交を象徴する歴史遺跡記念館として22日に正式に開館する。
14日(現地時間)に訪れた公使館は、建物の前の交通信号や表示板を除けば昔の写真とほとんど違わなかった。太極模様が入った紺色の鉄製の玄関もそのまま再現された。建物の右側の駐車場跡には花柄が入った塀と不老門を設置し、平らな石を置いて小さな韓国式庭園を新しく作った。
公使館には無力な小国朝鮮の挫折と亡国の悔恨が染み込んでいる。1888年1月、初代公使の朴定陽(パク・チョンヤン)は赴任当時、「フィッシャーハウス」と呼ばれる近隣15番街の一般住宅に借りて暮らした。朴公使は朝鮮の自主外交を阻もうとしていた清の圧力にもかかわらず、クリーブランド大統領に単独で会って高宗(コジョン)の国書を伝えたことで、翌年、袁世凱に呼ばれた。その後、第2代の代理公使、李夏栄(イ・ハヨン)が現在の公使館に移った。高宗は朝鮮の自主性を見せようと1891年当時、皇室資金の内帑金の半分にあたる2万5000ドルを投入し、公使館の建物を取得した。海外公館のうち唯一の朝鮮政府所有の建物だった。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
http://japanese.joins.com/article/423/241423.html 日本に併合を願った時代以前は、チョウセンに文化などないよ。
道路はウン子だらけ。
チョウセン半島を旅行した英国人女史もあきれ果てていた。 日本が肩代わりした負債総額って、
いくらくらいなの? >>210
現在の通貨価値に換算するのは困難だけど、おおざっぱに言って「朝鮮半島をそこの住民も含めて全部買えるくらい」でしょうね。 なんでもかんでも奪われた、奪われたってうっせーわ。 日本が肩代わりした借金を
全部返してもらいたいね。 日本が肩代わりしてあげた債務についても
金額をしっかりと公表してください。 >>4
当時は1ドル=1円くらい。
100円あれば家が建てられたらしい。
1ドルで金が1.5gくらい買えたらしい。 >>17
そんなにけた違いの莫大な支援をしたのか。
やっぱ、明治維新で大英帝国が重用した人たちの故郷だから? >>1
>1910年に日本にわずか5ドルで奪われた建物を2012年に350万ドルで取り戻し
知らなかったか忘れてたに違いないw
まさかアメリカが何の気遣いもなく意固地に売ってくれなかったとか? 韓国は デタラメだろうがイチャモンだろうが
とにかくとりあえず主張する国
日本は良く考えて 論理構成する国
人間ならどっちが強いか といえばとりあえず殴っとく というほう 「奪われた」じゃなくて、「差し押さえられた」の間違いなんじゃないの? ほうらね、日清日露戦争なんかやらずに、シナ朝鮮を抹殺した方が良かっただろ。 韓国は現在でも国家じゃないんだけど
あれは自治政府であって国家のまねごとをしてるだけ >>227
目玉コンパスがお金儲けするために、
やらざるを得なかったのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています