>>796 この辺かな?
 
(恩を仇で返す国は助けない)
鈴置:当時、真田先生は東京三菱銀行で韓国を担当しておられました。私も日経新聞のデスクとしてアジアを
 カバーしていました。
 あの頃は、韓国人の中でも分かった人は「日本は最後まで面倒を見てくれた」と語っていました。1998年と
 思いますが、危機の原因を追及した韓国国会でも、それを前提にした質問があったそうです。

 でも今やそんなことを語る人はいない。韓国では日本が悪者でなければならないからです。当時をよく知るはずの
 記者も「日本の貸しはがしが危機の引き金となった」と書きます。

真田:米欧が貸しはがす中、我々は最後まで引かなかった。「日本が引き金になった」とは言いがかりも甚だしい。
 これだけは記録に留めていただきたい。邦銀の担当者は本店を説得し、欧米が逃げた後も最後まで韓国にドルをつないだのです。

 韓国が国際通貨基金(IMF)に救済を申請した後でも、KDB(韓国産業銀行)とIBK(中小企業銀行)へは日本輸出入銀行が
 ドルを融資しました。我々、邦銀の韓国担当者が走り回った結果です。

 それなのに「我が国の通貨危機は日本が起こした」と世界で吹聴する韓国。そんな国を助ける気になるでしょうか?

 麻生太郎財務相が2014年10月に「韓国から申し出があれば、スワップの延長を検討する」と国会で答弁したのも、恩を仇で
 返す国への不信感が背景にあったと思います。

(米国が禁じた日韓スワップ)
結局、1997年の危機で最後には邦銀も韓国から引きました。なぜですか?

真田:米国です。日本には永田町(政界)を含め「韓国を助けよう」という合意があった。欧米のヘッジファンドが
 ウォンを売り浴びせる中でも、です。

 でも「韓国救済は国際的なスキームの中でやる」という米国の指示に従わざるを得なかったのです。「国際的な
 スキーム」とは要はIMFによる救済です。

鈴置:韓国のドル不足がどうしようもなくなってIMFに救済を申請したのが1997年11月21日。その直前のある日、私は
 朝刊番デスクでした。

 夕方「韓国銀行から日本銀行に対し、ドルを貸してくれ、と要請があった」との情報に接しました。スワップです。

 もちろん日本は応じるつもりでした。あの頃は、旧植民地の韓国が困ったら助けるのが当然、というのが永田町に限らず、
 日本の空気だったのです。

グリーンスパンの“嘘”
 しかしその晩、いくらたっても「日銀がスワップに応諾した」との確報が回ってこないのです。変だなと思って担当部に
 聞きにいったところ「日銀が米国に報告したら『スワップはダメだ』との厳しい回答だった」。

 驚きました。要は「韓国はIMFに行かせるつもりだ。日本は余計なことをするんじゃない」とのお達しなのですから。

 米連邦準備委員会(FRB)議長だったアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)氏の回顧録『波乱の時代(上)』
 の274ページに以下の記述があります。

 11月、日本銀行の幹部から電話があり「韓国経済が崩壊しかねない」と警告された。日本の銀行が韓国への信認を失い、
 数百億ドルの融資の更新を撤回しようとしているとの説明だった。
 
 私の体験に照らせば、グリーンスパン元議長は半分しか語っていません。「韓国危機に関し日本から報告があった」
 とは書いても「米国が日本の対韓スワップを止めた」というくだりはないのです。止めたのはFRBではなく、米財務省
 なのかもしれませんが。

真田:本当に止めたのは、ペンタゴン(国防総省)、あるいはホワイトハウスかもしれません。米韓関係は相当に悪化
 していましたから。(後略)