【中国ネット】信じられない!日本が26倍も国土の大きい中国に兵を向けたのはなぜか[06/09]
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◆信じられない!日本が26倍も国土の大きい中国に兵を向けたのはなぜか=中国メディア
日本の国土面積は約37万8000平方キロメートルであるのに対し、中国は約960万平方キロメートルと日本の約26倍に達する。
広大な国土を持つ中国から見れば、日本は小さな島国に映るだろう。
しかし、国土の規模が圧倒的に違うゆえ、中国人からすれば小さな島国の日本がかつて中国を侵略しようとしたという事実が信じられない部分もあるようだ。
中国メディアの快資訊は8日、国土がわずか37万8000平方キロメートルしかない日本が中国に兵を向けたのはなぜなのかと疑問を投げかける記事を掲載した。
記事は、盧溝橋事件が起きた1937年当時、中国の政権を掌握していたのは国民党政府であり、兵力は約202万人に達し、軍艦は66隻、戦闘機は600機以上を保有していたと紹介。
それに対し、日本の陸軍は50万人以上、2600機以上の戦闘機に200隻以上の軍艦を保有していたと紹介する一方で、中国には広大な国土と豊富な資源があったため、「数字上は日本の侵攻に無限に耐えられるはずだった」と論じた。
だが、国民党政権下にあった当時の中国は国が乱れ、共産党と国民党による内戦「国共内戦」も続いていたため、当時の中国は大きく疲弊していたと紹介。
もともと工業面で日本に遅れをとっていた中国は国と人民が疲弊しており、外部からの侵略に抵抗する力を大きく削がれていたと指摘し、それゆえ中国は日本の侵略を許してしまったのだと主張した。
サーチナ 2018-06-09 11:12
http://news.searchina.net/id/1660990?page=1 >>478
マッカーサー元帥に間違いはないと思う
本当に敵国であろうが庶民にはとても配慮してくれたものね
いつもなら何を言っているんだとなるところが、久々にそうだったのかとなったわ >>479
共産党の指導に従わないなら、如何なる宗教も中国は認めない、
逆に指導に従うなら、如何なる宗教も認める、
指導を受け入れる=宗教家の皮を被った共産党員になるんですけどね。 【南シナ海】中国外交部「中国は小国いじめはしない、小国も理由なく騒ぎ立てるべきではない」
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10159388/
>>324日本は朝鮮を支那の奴属から開放した!
1636年、後金のホンタイジは国王から皇帝となり、国号を清とし野望を明らかにした。
これに危機感を感じた徳川家光は朝鮮に使いを送り、必要なら援軍を送る旨を伝えた。
しかし、李氏朝鮮の仁祖は家光の申し出を断った。 同年、ホンタイジは10万の兵力を率いて李氏朝鮮に侵攻した。
翌1637年李氏朝鮮の仁祖は降伏し、三跪九叩頭の礼による降伏の儀式が行われた。
清軍は50万の朝鮮人を捕虜として強制連行し、盛京の奴隷市場で売買した。
朝鮮人奴隷は兵隊として動員され、婦女子は強姦された。
戦後 、朝鮮は清の冊封を受け、王子を人質として清へ差し出すことなどが取り決められた。
このような清と朝鮮の冊封関係は約250年間続いたが
日本は朝鮮の独立を目指し日清戦争に勝利することで朝鮮を柵封体制から開放した。
朝鮮を独立国であると承認したのは世界で日本が初めてだった。 宗教を侮るべからず・・
・信長は大変に優れた武将であったが、比叡山の戦いは必然。避けられず焼き討ちにした結果、発狂
燃え盛る炎の中で夢に届く前に亡くなる
・ソ連。スプートニックなど、アメリカと肩を並べる。しかし、正教会を廃止した結果、転がり落ちる
・中国。仏教を迫害 → ??? >>453
支那は風水なんぞにこだわってないし、仏教にこだわっていないが少林寺(拳法)にはこだわってる
謎でもなんでもねーよw
カネだよカネ >>481
日本が台湾を統治した時も、阿片を専売にしたが、
それで管理し阿片中毒を徐々に減らして行った、
日本を否定したい連中は日本が阿片を売った事だけ非難して、
その後を無視する。 まあなんか極左が中国様ーと言うんだけれども、私は正直祟りジャー 祟りジャーとしか思えないのね・・ シナ歴史的に外国に攻められすぎ
清だって満蒙外国人政権だったし >>486
すげーこじつけだな〜
怖れる対象は宗教ではなく神仏
宗教そのものはゴミのような考えが非常に多いw
創価や統一など信者を全員殺害しても福を授かるだけで悪いことなど起きんよw >>493
まあオウムとかもあるからね・・
だけど歴史のある宗教はマジで気を付けたほうがいいわ
アメリカもイラクを攻めた時に具合が悪くなったでしょう
あそこはイスラム教の神様がいたんだろうからね
ナチスはユダヤ教を突いて、ああなったんだろうからね
だけどまたクリスチャンの力で立ち直ったんだろうよ 大東亜戦争終結により日本軍が「降伏」したあと、国共内戦が起きて毛沢東と蒋介石軍が争ったことは周知の事実である。
蒋介石が負けた大きな原因が、印度方面に駐留していて、米国から最新式の武器を与えられ訓練されていた精強?な「新1軍」と「新6軍」の60万の将兵が、旧満州での国共決戦に参入せず、怒った蒋介石がこれを「解雇」したことにある。
解雇された両軍はそのまま毛沢東に「寝返った」のだが、朝鮮戦争が始まると、毛沢東はこれをうまく利用して、北朝鮮に「恩を売り」、ソ連からの援助を引き出し、同時にこの「信用出来ない寝返り軍」を、
米軍と戦わせて「始末する」ことを考える。毛沢東は、米軍がどのくらい強いか全く知らなかったが、米軍式装備を誇る彼らに戦わせ、共産軍の温存を図るのだが、その時旧蒋介石軍の軍長に言った言葉が面白い。
「貴軍は降伏して私に忠誠を誓った。その忠誠心を発揮する時が来た」というのである
こうなれば両軍長とも朝鮮の戦場で戦うしかない。そこで「義勇軍」と称して北朝鮮に侵入して米軍と戦うことになるのだが、
一時的に有利な展開をしたものの結局は全滅する。こうして毛沢東は、金日成に恩を売り、スターリンから援助を獲得し
、何時自分に刃向うかもしれない60万の旧蒋介石軍を始末したのである。
中華民族は一つであるべきだという大一統という手前勝手な考えがあればこそ、3月のチベットにおける民族弾圧や少数民族に対する理不尽な仕打ちにみられるような“蛮行”が繰り返されることになる。
香港やマカオでの“慣らし運転”を終えた一国両制を、これから台湾に推し進めようと虎視眈々と狙っている。大一統という民族の聖なる使命の前には、台湾住民の意思などナンボのモンジャイ、なのだ。
最後に反日だが、誰もが昭和に入ってから、ことに昭和6(1931)年9月18日に勃発した満州事変以降の中国大陸における日本軍の行動に原因があるように看做しがち。たしかに「九・一八」は反日の記号となり、
満州を流れる松花江は反日のシンボルとなった。
だが、戦争時の「日本帝国主義打倒」からはじまり、毛沢東時代の全国一斉に一糸乱れず展開された「日本帝国主義復活阻止」を経て昨今の若者によるネット反日まで、これまでみられた一連の反日行動を冷静に振り返ってみる時、
そこに侮日・軽日・憎日・恐日・畏日・罵日・嫌日・敬日、時に恋日の意味が込められていることが見て取れるのである。
そもそも歴史的に考えるなら、中国人が自らの不甲斐なさを否も応もなく知らされた日清戦争こそが、両国関係の分水嶺だったような気がしてならない。
負けるはずのない《小日本》に朝鮮半島で完膚なきまでに叩きのめされてしまったことで、東方に浮かぶ「海上の三山」に棲み中華文明の栄に浴すことのない化外の民たる《倭人》に対し持ってきた優越感は吹っ飛んでしまった。
以来、《小日本》が屈辱と恐怖のトラウマになってしまった、というわけだ。
いま共産党政権は中華民族主義、大一統、反日の三頭立て馬車で疾駆する。で、行き着く先は・・・天知る地知るも、我知らず (V)_ _(V)
.ミ( ∀ )ミ 戦闘機600以上って、一つでも国産化しとったんか 満洲と内モンゴルとウイグルとチベットに侵略してガメた土地返せばシナの中原なんかかなり小さい >>498
どれだけの宗教を突きあげているのかと思えば怖いもんよ・・
近づかないのが一番じゃないかね・・ >>489
宗教もテロリストを次々生む
イスラム過激派なんて代表例だ
日本なら麻原や池田大作
無宗教かどうかは関係ねーな
ゴミは殺す。自分で殺る
という意思の方が大切
道を間違えればテロリストになる 日本の帝国主義はアジアで3500万人??
いざさらば めにものみせん めりけんの 空母めがける 大和魂−陸軍特別攻撃隊員The Imperial Japanese Navy 大日本帝國海軍 http://www.youtube.com/watch?v=YViq5W90qds&feature=related
ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」
( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )
バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。
・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、
これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」 >>494
お前神のことを知らないで利用しようとしてるのが丸分かりだよw
お前みたいなのが神の名の下に粛清をくらいやすい♪ チャンコロが白人にシャブ漬けにされてよだれ垂らしてラリってたからだよ(爆笑)
おまけに薄汚い華僑共は、植民地支配する白人達に餌を貰ってアジア人から搾取してた裏切り者
神国日本が暴支膺懲に向かったのも神の御心だwww おまけhttp://www.youtube.com/watch?v=DTfxbyGf6Cs&feature=related
阿片戦争 中国の暗黒の近代史は、自らの怠慢と奢りが引き起こしたと言わざ るを得ない。?
愛国無罪と言うのは中華の専売特許だが、この時代、英国の奴らの 愛国無罪は凄まじいものがあるね。
阿片で戦争?麻薬の売買断られ たから殺す?完全にヤクザじゃねえか。中国はもう恨みを忘れたの か?復讐という言葉が無いか?
愛国無罪で持って復讐するのは日本 では無く、イギリスに対してであるが。? 明治33(1900)年、ロシアは満州に侵入し、5、6千人の清
国民間人を虐殺する、世に言う「黒竜江上の悲劇」を起こしま
す。明治36年には、韓国の鴨緑江河口を軍事占領し、要塞工
事を始めました。朝鮮半島までロシアの勢力圏にされたら、日
本の安全と独立は重大な危機に瀕します。現在の北朝鮮のよう
な国が九州の目と鼻の先の釜山まで進出してきたと想像したら、
その脅威は現代の我々にも容易に実感できます。
日本は清韓両国の独立と領土保全を要求して対露交渉を試み
ますが、ロシアは我が国の最終提案に回答せずに、急ピッチで
戦争準備を進めたため、ついに明治37年2月6日、国交断絶
を通告し、開戦となりました。
この時に、明治天皇は次の御製を残されています。
四海兄弟
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
日本を取りまく四方の海はみな兄弟同胞だと思っているのに、
どうして波風が立ち騒ぐのであろうか。「など」という一語に、
国家間の平和と友好を祈念されながらも、戦いのやむことのな
い国際社会の現実を悲しく思し召されている御心が窺われます。
大東亜戦争開戦の際には、昭和天皇が再びこの御製を示されま
した。近代世界システムの荒海に投げ出された日本の宿命はこ
の一首に象徴されています。[a] 日本=戦犯国の卑劣な加害者。放射能を浴びた怪しいお米セシウムさん。世界で唯一ガイガーカウンターに反応する臭くて汚い民族。
中華人民共和国=未開な土人だがアジア唯一の戦勝国。中華料理が唯一の取り柄。
中国残留孤児(ドラゴン)=自称日本人と騙る謎の中国土人の自称戦犯国民。国籍は戦犯国日本だが中身は未開な中国土人というハイブリット粗大ゴミ。未開な土人過ぎて悪臭が酷い。池袋を好む >>487
そうでもない
シナ共産党幹部は自分の生年月日、本名を明かさない
自分の運勢の流れを敵に読まれるのを防ぐために
また歴代皇帝が本当の墓の位置を大衆から隠したのも
骨を盗まれて自分の力の源泉を暴かれることを恐れたため
シナの権力者は昔から周囲の存在全てを恐れてる
だから今日のような管理社会を構築する もしかして中華民国は建国から崩壊まで、
漢民族同士の内紛で、砂の様にバラバラだったと中国人は知らないのか。 だいたい国土の大きさとか言い出したら英国とかヨーロッパ諸国の植民地支配こそ
おかしいだろうが
英国は日本とそれほど大差がないのに世界中に植民地つくったしな 金 美齢氏(評論家)
・中国共産党では94年に「愛国主義教育実施要領」を定めている。幼稚園から一般成人の世代にまで適用する広範な教育要領である。
これによって戦時中の日本軍の記憶を喚起させている
反日教育を徹底していることになる。反日行動が現れてくるのは当たり前だ。
政府は厳重に抗議してやめさせよ。
中国の報道機関はすべて党営の宣伝機関ですからノーチェックで垂れ流す。でも、日本のマスコミまでが鵜呑みにして報道したために、
この虚報を信じ込んでいる日本人すら多くなってしまった。受取る日本人の方にも問題はある。⇒中共の報道なんか、北朝鮮と同じで全部嘘と思えば良い。信じるほうが馬鹿である。
共産党の宣伝教育を受けた彼らは、当時日本軍が戦ったのが国民党ではなくて、共産党だと信じて疑わない。
・史実を歪曲した教科書の影響は憂うべき状況である。⇒
中国語には過去時制がないから、歴史についての記述が全部現代の物と解釈される。
「日本人は軍国主義者だった」→「日本人は軍国主義者だ」
「日本人は沢山の中国人を殺した」→「日本人は沢山の中国人を殺す」
etc それを言ったらもっと国土の小さいイギリスが地球の反対側から中国に兵を差し向けてボコボコにしてたじゃん >>507
チョンコはその中国土人に属国にされてた人間以下の奴隷民族
アジア最下層の白丁階級だ(爆笑) 特定アジアは歴史しかカードが無い!
日本を見れば見るほど、異常な嫉妬心で身もだえするばかりだったのだろう
それにしても一部の中国人、朝鮮・韓国人の日本への嫉妬と執念深さは
異常であると言わざるを得ない。
中国・韓国・朝鮮の特定アジア三カ国が、なぜこれほどまでに過去に
こだわるかと言えば、日本にケチをつけたくても過去しかネタが無いと
いうことに尽きる。
第二次大戦後の中国・韓国・北朝鮮のやってきたことといえば、
大躍進失敗による大飢饉と文化大革命リンチ・天安門事件(中)、
光州事件(韓)、食糧難による苦難の行軍(朝)という自国民虐殺、
チベット・東トルキスタン侵略とベトナム・インド攻撃(中)、
竹島占拠と日本人漁民射殺(韓)、朝鮮戦争と日本人拉致(朝)という外国侵略、
これに対して戦後の日本は、アジアでもっとも進んだ民主主義と
人権を持つ国となり、アジアでもっとも早く豊かになって、
長年にわたって世界中に援助をしてきた。国連への貢献度も世界2位である。
BBCの世界規模での世論調査でも、日本への好感度は良好だ。
中・韓などの特定アジアを除いて!中国・韓国・北朝鮮は、
自国のミジメな戦後史を見るにつけ、現代の日本に全くケチがつけられないのである。
このままでは、遅かれ早かれ世界からの批判の目は民主国家・日本ではなく、
中・朝・韓の特定アジア独裁国家群に向けられるのは間違い無かった。
また、中・朝・韓が自分たちで勝手に、社会主義のような間違った経済政策や
無謀な戦争を起こしたから貧しかったにもかかわらず、東アジアで唯一
経済政策が成功して豊かだった
日本を見れば見るほど、異常な嫉妬心で身もだえするばかりだったのだろう。 >>1
宏大な荒れ地や砂漠も国土としてカウントしているようだが
お前ら、核実験場以外に何に利用するん? >>29
これは事実だろ。
朝鮮が独立国家として戦争をしてでも併合を拒否ししていれば、
その後の展開はなかった。 そして「何としても日本を悪者にして、世界からの批判を中・朝・韓ではなく
日本へそらしたい」という邪悪な心から生まれたのが、”過去カード”だ。
戦前の日本と戦後の日本は、同じ日本というだけで政治体制が
180度転換しているにもかかわらず、「日本は過去を反省していない。
だから現代日本は悪い軍国主義国家である」というデマを世界中に流したのである。
中・韓・朝が現代日本にケチをつけるには、もうこれしかなかったと言える。
★昭和46年 文化大革命礼賛コラム掲載
昭和46年 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載
(朝日売国記者 本多勝一が書いた捏造コラム。中国政府が用意
した証言者に中国政府役人監視の元インタビュー。後に
全てが捏造と指摘される。日本軍がやってもいない残虐事件を
作り上げ日本と日本人に多大な損害∞を与える。)
それにつけても朝日新聞の本多勝一という人間はどういう人間なのであろう。
日本人でありながら、日本人を侮蔑して、日本のためと言いながら、中国に媚を売って中国人の利益を代弁するという姿勢は何処から来ているのであろう。
相手の言い分のみを真に受けて、同胞の言い分には耳を貸さないというのは、どういう神経なのであろう。
それほど自分の同胞が気に入らないのならば、さっさと中国に渡り、中国の体制に同化すればいいと思うが、それは彼にとっても出来ないであろう。
なんとなれば、彼は日本にいるからこそ日本人の悪口を言って飯の種に出来るが、中国に行って日本の悪口を言ったところで、馬鹿にされるだけなので、彼は中国には渡れず、日本にとどまらなければならないのである。
日本には言論の自由があり、報道の自由があり、何を言っても束縛されないが、それに比べ彼のような本が中国で出版できるであろうか。 勝てると思ったからだろ、戦闘では200勝1敗1引き分け >>500
私が思うに過激派は、オウムのようなものじゃないかね?
オウムも仏教とか言っていたでしょう。誰もが「は?」って感じだけれどもね ・在日中国人女性中国の歴史(教科書)は、政治権力が変わればその都合によって変わります。その意味で、正しい歴史は日本で学べる、というのが今の実感です。いつの日か中国が正しい歴史に基づいて民主主義国家になることを夢見ています。<真実を知る中国人の本音3>
90年代後半、東京の大学院に留学生として来日した 夏遥さん(仮名、30代後半) も、来日して初めて日本の真の姿が分かったという。彼女もまた80年代半ば以降の「政治的反日」を指摘する。
「天安門事件の発火点となったのは、その3年前の1986年、中国全土で起こった大学生の民主化デモでした。上海で米国ロックグループのコンサートで上海交通大学院生が踊ったことが『中国の恥』と警察から暴行を受け連行されたのです。
それに対して中国の新聞が真実を報道しなかろたので同胞救出のデモが上海で発生し、全国に広まりました。
デモの二大テーマは『人権』と『言論の自由』。あくまで対政府であリ歴史問題などの反日ではありませんでしたが、丁度その頃から、メディアや大学構内の映画館、街の映画館で『南京大虐殺』の映像が流され始めました。
私が中国の大学に在学していた88年まで日本批判は次第に大きくなり、「日本人は残虐な民族だから女性は気をつけろ」とか日本では女性は奴隷のような生活で自由がない」
など悪い話ばかり聞くようになりました。男尊女卑の国というイメージです。
私は『道徳が国の発展にどう影響するか』というテーマを持っていました。ですので、そんなに悪い国である日本がなぜ戦後、
先進国に発展できたのか不思議だったのです。それを確かめるために日本に来ました。
まず驚いたのはいたるところに綺麗な公衆電話があったこと。中国では電話器、電線までも盗まれるからです。また水道水が飲めることも驚きでした。道徳、公の精神が広く行き届いているのだと感心しました。
また駅前で男性が立ち食いそばを食べ、
女姓はデパートなどで優雅に買い物をしている。その点では、女尊男卑の国でした(笑)。 靖国参拝ー在日中国人の声を聞け
相 林: 中国民主運動 海外聯席会議副幹事長
張本 真: 「大紀元時報」記者 呉 麗麗: 「大紀元時報」記者
≪間違いだらけの靖国理解≫
相:先日も私の中国の友人が日本に来て、「靖国神社ってどういうところ?」と聞かれました。
「戊辰戦争以降の240万人以上の戦死した軍人が祀られているよ」と答えると、凄く驚くのです。「えっ、嘘でしょう。第二次大戦のA級戦犯だけじゃないの?そう聞いていたけど」と。
これが中国人の一般的なイメージですよ。
張本:もうひとつ、中国で知られていないのは、「靖国神社が私的な宗教団体の施設である」という事実です。中国人のほとんどは靖国神社を国家的な施設だと思っている。
しかも、8月15日になると、靖国神社にかっての日本軍の軍服で参る人たちがいますね。
その数はごくわずかだし、ノスタルジックなものでしかないのでしょうが、中国のテレビなどでは、彼らの姿のみがクローズアップされて放映されるので、テレビで見る中国人は、軍国主義の復活と思い込まされるのです。
相:私達の小さい頃は、「中国は外国から狙われている。我々は決して侵略はしないが、いつ攻めてこられるかわからないから油断するな!」と教わってきた。しかし、実際には、チベットしかり、朝鮮戦争しかり、むしろ攻める側だったのです。
1979年にベトナムに攻め込んだときも「悪いベトナムに正しい道を教えるために派兵しているのであって、自衛戦争だ」と言っていた。日本に来てから知ったのですが、これは日本が中国に攻めたときと同じ理屈なんですね。
日本は中国人民を解放すると言いながら攻めてきた。同じことを、戦後は中国がやってきた。こんな中国に、今の日本を軍国主義呼ばわりする資格があるわけがない 歴史のある宗教は決して決して何であれ突くものではないと思うんだわ
私は何が何でも逃げるわ。祟りジャー祟りジャーって思うからね ★【産経抄】9月26日
・平成生まれのみなさんへ。長かったいくさが終わって、中国がぼくたちの「ともだち」だった
時期がほんのひとときあったんです。つきあい始めたころには、白黒の珍獣を友情の印に
贈ってくれ、上野動物園には長蛇の列ができました。
▼こんな愛くるしい動物のいる国はきっと、やさしい人たちが住んでいるんだろうな、とぼくたちは
信じました。もちろん、いくさで死んだ兵隊さんを祭った神社に偉い人が参っても文句ひとつ
いいませんでした。
▼しばらくして、「ともだち」は、神社へのお参りに難癖をつけ、ぼくたちが持っている島を
「オレのものだ」と言い出しました。びっくりしましたが、トウ小平というおじさんが「次の世代は
我々よりもっと知恵があるだろう」と言ってくれました。
▼でも小平おじさんは、本当は怖い人だったんです。「自由が欲しい」と広場に座り込んでいた
若者たちが目障りになり、兵隊さんに鉄砲を撃たせ、多くの人を殺してしまいました。みんなは
びっくりして「こんな野蛮人とはつきあえない」と村八分にしました。
▼それでもぼくたちは、みんなに「こいつは本当はいい奴(やつ)なんだよ」と口をきいてあげ、
貧しかった彼には、いっぱいお金をあげたり、貸してあげたりしました。おかげで「ともだち」は、
みるみるお金持ちになりました。
▼そのお金で「ともだち」は軍艦や戦闘機をいっぱい買い、今度はもっと大きな声で「この島は
オレのものだ」と叫びました。「次の世代の知恵」とは、腕ずくで島を奪うことだったんです。
パンダにだまされたぼくたちは浅はかでした。「次の世代」のみなさんは、もっともっと力を
つけて真の友人をつくってください。お願いします。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100926/plc1009260307003-n1.htm このシリーズさ、いろいろ着眼点はいいんだけど、、ちゃんと考察しなよ。
結局、ご都合妄想結論だして「仕方なかった、それでも今は
そんな日本を追い抜いた中華すごい!」で終わるから成長しないんじゃん。 >>512
近代化した日本や欧米に敵う訳がないw
国土が何十倍でも中国は産業革命による近代化も出来なかった中世の土人国家だからな 偉大なるシナ(China)国民諸君。 日本は、民主主義の国だ。 政府が干渉しない、自由選挙ができる国だ。
階級や、財産や、思想で差別されない、普通選挙を続けている国だ。
日本は、自由主義の国だ。 共産党に国民の主権を簒奪された国とは違う。
国軍ならぬ共産党の軍隊に集会を戦車で踏みつぶされ、
青年達を殺されても、全てが無かったことにされるような国とは違うのだ。
偉大なるシナ(China)国民諸君。 日本の内閣総理大臣は、選挙によって選ばれた議員の中から、議会の多数決で任命される。
国民の支持なしに、日本の内閣は、日本の指導者は存在し得ない。
偉大なるシナ(China)国民諸君。
シナ(China)には、「日本の国会にあたる全人代」が存在するという。
良し、では、問おう。
シナ(China)には、自由選挙が存在するのか? 普通選挙が行われているのか?
思想の自由は、言論の自由は、集会の自由は、結社の自由は、出版の自由は、
シナ(China)に、存在するのか?
否、信仰の自由とともに、これら全ての自由はシナの国民から奪い去られている。
偉大なるシナ(China)国民諸君。君たちは、指導者を選ぶ自由を持っているか?
君たちは、指導者を倒す権利を持っているか?
かって多くの偉大なる先達たちが行ってきた、圧政の府を倒す権利を失ってはいないか?
偉大なるシナ(China)国民諸君。 目覚めよ。そして知れ。 真の軍国主義者は誰か?
自らの利益のために国民に銃を向ける者は誰か? 立ち上がれ。そして旗を立てよ。
国民の自由と、権利と、軍隊を、共産党から奪い返すのだ つかさお前ら支那人は恥ずかしくないの?
有色人種全ての解放者にしてアジアの盟主
という日本に対して。 スペインやイギリスの成功例が先例としてあったからね ・中国大陸从毛澤東文革時大力鼓吹生小孩后,大陸人口激掾C造成許多社会問題,雖然大陸明文規定禁止吃嬰,但是却是鼓励堕胎,
同時社会道コ的直銭下滑,導致這樣泯滅人性和違反人権的事情屡屡発生。
(中国大陸では毛澤東の文化大革命時代に盛んに子を産めよ増やせよと奨励したために人口が激増して多くの社会問題をもたらした。
当時嬰児食の禁止を明文化して規制していたにも関わらず、却って堕胎を奨励することになり社会道徳は地に落ち、
このように人道は潰滅し人権侵害行為がたびたび発生するようになってしまったのである)。
(注:強制堕胎を施行している支那大陸ではいまでも毎年二千万〜三千万柱もの命が失われている)。
:『中国は間もなく老人地獄になる』。
2030年には半数が老人になるという統計が発表された。推定8億人が老人という凄まじい国になる。
安定した豊かさと安全に恵まれた国がはじめて老人大国になれる"資格"があるのに、支那大陸では搾取と極貧のままで老人になっていくんだからことが悲惨である。
幸せを知らないまま死んで行くわけだから気の毒としか言いようが無い。20年後には日本のすぐ隣でこの世の生き地獄が具現される。(日本への負の影響は計り知れないものがあるだろう)。
172:『中国国内には文化的財産・遺産は悉く残っていない』。
王朝交代時に全て破壊されるか、窃盗に遭い国外に売り飛ばされてしまった。多くは日本・台湾・英国などに有り。北京紫禁城(故宮)の中は蛻の殻(もぬけのから)といっても大袈裟ではない。
第一級の財宝は台湾台北の"国立故宮博物院"に保存されている。遺産財宝は保管保存の為に支那国外に在ったほうが幸せである。 どんどんロシアをはじめ白人国が入って来るからだろ
日本が出てこなかったらどんな世界になってたか?だよ まあいっても今回の今回だけは支那の時代来たんじゃないの?
経済で抜いたからっていい気になるな?
いやいや経済が良ければ社会だって自然と良くなるよ経済が全てだよ >>514
お前らは、未開な中国土人が整備した旅客機に乗れるか?
立派な俺は乗れるぞ!
お前らは、未開な中国土人が補充した自販機のジュース飲めるか?
立派な俺は飲めるぞ!
お前らは、未開な中国土人が握ったマイクで歌えるか?
立派な俺は歌えるぞ!
お前らは、未開な中国土人が入浴中の湯船の中に入れるか?
立派な俺は入れるぞ!
お前らは、未開な中国土人が捏ねた肉まん食えるか?
立派な俺は食えるぞ!
お前らは、未開な中国土人と握手出来るか?
立派な俺は出来るぞ!
お前らは、未開な中国土人が試着した服を着れるか?
立派な俺は着れるぞ!
ひとつでも躊躇したお前は差別主義者のネトウヨだ。
未開な中国土人を差別するなよ!戦犯国ジャップ! ほん30年前まで自転車で走り回ったんだから、わかんだろw そもそも、その国土の面積もおかしいから。
中国は歴史も知らねえとバカにされるだけ。 >>534
日本が極東防衛を放棄していたら、
今の支那チョンは絶滅、あの辺りは黄ロシアと
呼ばれていたでしょう。 「若い人は知らないかもしれないが、三年困難時期(「大躍進運動」の中国国内の俗称)の時、数千万人も餓死した。木を伐採して鉄鋼生産に使い、生態環境は破壊された。1959年の大干ばつが発生し、一年間食糧が収穫できず、四、五千万人も餓死した」。
「大躍進運動」は、1958年に、当時毛沢東政権が共産主義社会の実現を加速させ、欧米の経済大国を追い越すことを目的に発足した国家プロジェクト。1958年から1960年までの三年間、農村の現状を無視し、強引な集団農場化や、農村での鉄鋼生産などを進めた結果
、自然環境をすべて破壊し、農村経済を混乱させ、深刻な食糧不足により多くの餓死者を出した。
「大躍進運動」による餓死者数について、今まで中国当局が公に言及したことがなかった。内部で発表された統計数字は2千万人前後と言われているが、中国内外の研究者が三千万から五千万人と推定している。中共の高級幹部が公に五千万人もいると認めたのは初めてである。
袁氏の発言は中国国内の読者やメディアに注目されている。元新華社記者楊継縄氏が今週、香港メディアの取材で、大躍進運動は数千万の死者も出し、期間中食糧がないため人間同士を殺し合い食べるケースも少なくないと話した。
また、中国国内のネット利用者の中で大きな反響を呼んだ。「初めて聞いたが信じられない!でも、袁は政府の高官であり、専門家でもある。広州日報も党の宣伝紙だ。きっと袁の発言は事実だ」と驚きの発言は各ネット掲示板上で絶えない。
袁隆平氏は1930年北京生まれ。ハイブリッド水稲の専門家として中国の農業研究をリードして来た袁氏は中国特等発明賞や世界知的所有権機関(WIPO)の金賞など内外から多くの賞を受賞し、「ハイブリッド水稲の父」と呼ばれている。1996年5月15日、
日本経済新聞創刊120周年を記念して創設した「日経アジア賞」(第1回)において技術開発部門で受賞している。
.net
中国共産党の歴史は、人民にとっては災難の連続だった。むろん、それは単なる自然災害ではない。共産党による何千万という同胞殺害と、
誤った政策による何千万という悲惨な人災の連続だったのである。
まず一九四八年から五五年という初期の段階―。元公安相の羅瑞卿によれば、革命の敵として処刑された中国人の数は四〇〇万に上るという。
これはまだ毛沢東が博愛的だったといわれる時代だ。
五七年の反右派闘争の時には、五〇万を超える愛国者が右派分子として当局から弾劾され、そのうち数万人が労働収容所で死んだとされる。
そして、五八年には有名な大躍進が始まるが、この時の犠牲者は諸説あるものの、恐らく三〇〇〇万人は下らないという。
それだけではない。その後にやってきたのはあの文化大革命だが、ここでも少なく見積もっても二〇〇〇万人の中国人が殺されたとするのが研究者の定説である。
むろん、こんな数字は中国人自身が知らない数字である。あの天安門事件もそうだが、彼らは未だにその真相を知らされず、それを正当に知り、批判する自由すら与えられていない。
もし彼らに、いつの日か歴史研究の自由が与えられたとするなら、果たしてその結果はどのようになるか。クリストフはそう問いつつ書いている。
《問題は、中国の歴史家が押し入れを開く度、人の骸骨(犠牲者たち)が転げ出てくることなのだ。いつの日にかすべての押し入れが音を立てて開かれた時、
共産党の神話は崩壊し、社会は大きなショックに直面するだろう》(同書) 勝てるから。ハイ論破。
中国軍なんて士気ゼロ。
かつて100万の隋軍がわずか20万の高句麗軍に全滅させられたがやる気ゼロだから
負けて当然www >>535
じゃあ、移住すれば?
漢民族でも中国に住みたいないって奴多いけど。w 良書紹介
中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか (ハードカバー)
石 平 (著)今更述べるまでもなく、中華人民共和国は自国民を最も多く虐殺した国である。
天安門の虐殺を含め、共産党政権が歴史上、どれほどの大虐殺を行なってきたか、共産党による虐殺の歴史を中心に、秦の始皇帝以来の「中国大虐殺史」を綿密に調べてまとめたものである。
今まで無視されてきた歴史の闇に光を当てる、「虐殺」に的を絞った、もう一つの中国史演義。
書の夥しい虐殺例うち、すさまじい一例を紹介しよう。
17世紀半ば、反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度だという。
大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動するため、張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。成都の街全体が「人肉加工場」に化したと云う。
石平氏によると、この張献中と毛沢東とは、その時代やイデオロギーは全く異なるとしても、人民に対する残虐性や心の深層において酷似するという。そして、そのキーワードが社会から排斥された「遊民」であり、
主流社会にたいする恨みと報復心なのだと。本書は日本人にわかりにくい、かの国の社会構造の一端を知る手がかりともなるだろう 多分武論尊氏が見たのは支那の未来じゃあないのかなあと。 2011年08月22日01:00 中国人「毛沢東が日本の侵略に感謝したのは本当?」 中国の反応カテゴリ歴史中国の反応
http://blog.livedoor.jp/panda_translator/archives/51882121.html
「毛沢東外交文選」には、毛沢東が日本人に対して何度も「日本の侵略に感謝します」という類の話をしたと書かれている。
1961年、毛沢東が日本社会党の議員である黒田寿男らと会談した際の話である。「日本の皇軍は、かつて中国の半分以上を占領し、そのお陰で中国人民は学校で教育を受ける事が出来た。
もし、日本の侵略がなければ、恐らく我々(共産党)は未だ山の中に潜伏したままであり、北京で京劇(中国の伝統的な戯曲)を鑑賞する事は出来なかっただろう。日本の皇軍が中国の半分以上を占領した事で、
我々は抗日を指示する地域を確立し、後の解放戦争に勝利するための基盤を築き上げる事が出来た。日本の資本と軍閥は我々にとって”良い事”をしてくれたわけであり、
もし感謝をしなければならないのであれば、私はここにおいて日本皇軍の中国侵略に感謝したいと思う。」
1956年、毛沢東が訪中してきた旧日本陸軍中将の遠藤三郎と会談をした際の話しである。「あなた方は我々にとって先生であり、我々はあなた方に感謝する。あなた方がこの戦争をし、
中国人民を教育してくれた事で、今まで統一感の無かった中国人民の群集が団結できたのだ。それ故、我々はあなた方に感謝すべきなのだ」。
同年、日本の日中輸出入組合理事長の南郷三郎と会談した際にも、毛沢東は同様の話をしたのであった。 毛沢東は、訪中した日本の政治家が過去の侵略について謝罪
すると、「いや、日本軍閥にむしろ感謝したいくらいですよ」、
彼らが中国を広く占領していなかったら、「われわれは現在も
まだ山の中にいたでしょう」と述べた。[1,p346]
中国共産党(中共)軍は1936年(昭和11)10月に、国民政
府軍に追われて1万キロ以上も敗走し、ようやく中国西北部・
黄土高原の延安に逃げ込んだ。「長征」と美化するが、実態は
大敗走である。「山の中」とは、この延安の事だろう。日本軍
が侵入して来なかったら、中共軍は圧倒的な国民政府軍の攻勢に、
延安に閉じこもる山賊程度の存在に過ぎなかったろう。
もっとも毛沢東のこの言葉には、日本への素直な感謝という
より、「してやったり」という自慢が多分に含まれていると感
ずる。日本を日中戦争に引きずりこみ、蒋介石の国民政府軍と
戦わせて「漁夫の利」を得る、というシナリオを書いたのはソ
連のスターリンだったが、それを主役として演じたのが毛沢東
であった。この実績と、党内の競争相手を冷酷な手段で次々に
蹴落としていったことで、毛沢東は中国共産党主席の地位を獲
得したのである。最近のベストセラー『マオ』には、その過程
が活写されている。[1] 今でも現代の西太后が何人ものさばってるから、腐敗と無能の中国はまた勝てないよw
英米が助けなきゃ中国なんて国は滅びてた
そもそも人民解放軍自体が他国のように国民を守る国軍ではなく、薄汚い共産党の雇ったボディガードに過ぎんのだ
自国民に銃を向け、戦車で轢き殺す奴らだ
負け戦と思えば、敵前逃亡する 現代の中国人は欧米列強の植民地状態だったのを知らないのかな? 1966/9 昭和41年私は総統に敬礼してから、「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。
「いつか。」と聞かれるので「36年(昭和11)の3月、松井石根閣下にお伴して、南京で・・・・」と申し上げた。
松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。
ふるえ声で――「松井閣下には、申し訳なきことを致しました・・・・・」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。
私は驚いた。一同も蒋総統のこの異様な態度に驚いた。
周知の通り南京戦の直後、蒋は漢口にいてしきりに対日抗戦の声明文を発表したが、〈虐殺事件〉など一言も触れていない。何応欽軍司令官の『軍事報告書』の中にも一行もない。それを東京裁判は、松井大将の責任で20万余を虐殺したと判決して、絞首刑に処したのである。
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉(じゅんほう)したばかりか、留学生当時から自分(蒋介石)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪(えんざい)で刑死せしめた。
悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。
蒋介石は私の手を2度、3度強く握って離さず、目を真っ赤にして面(おも)を伏せた。
周知の通り、蒋はカイロ会議以降連合国首脳会議から除外されて、発言権を失った。代わってスターリンがのさばり、中立条約を破って満州、南樺太に進攻し、北方四島の侵略まで果たした。
蒋は東京裁判関係からも除外され、派遣した梅判事はすでに共産党にくらがえしており、南京事件に対して何らの発言も出来なかったのである。
蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったと聞く
・在日中国人女性 鳴霞さん(近畿福祉大学講師)の「親日の告白」(SAPIO)5/25号)
「未だ法治国家になれない中国には、言論の自由もなく、民主主義国家におけるさまざまな権利を認められた国民も存在しません。教科書新聞、ネット、テレビなどすべての媒体は共産党政府が一元管理しています。
また、少なくと1億人以上(中国政府発表)の字が読めない人や一般人民が日本の歴史教科書や靖国神社の実態を知るわけがありません
当時私は朝日新聞と読売新聞を併読していました。ところが、1984年頃から朝日新聞が「南京大虐殺」を旧日本軍がやったと大々的に報道することに違和感を持ち朝日の購読をやめました。
なぜなら、中国で「南京大虐殺」は教科書でもメディアでも見聞したことがなかったからです。
来日して「南京事件」についての論争があることを知り、知人から『南京事件日本人48人の証言』(阿羅健一著)を薦められて読んで、
当時の南京で「虐殺」は起こりうる状況でなかったことを知りました。また、「南京大虐殺」の教典とされていた英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員ティンパーリの『戦争とは何か』(1938年)が
、国民党の宣伝文書であったたことが国民党の公式史料で判明したことなどで、
私は「南京大虐殺」の嘘を知りました。
かつて私は中学の歴史教科書で、「毛沢東軍(八路軍)は国民党軍を30万人殲滅した」と教えられました。 中国に住んで超監視社会だなんて、もうビッグノースコリアだよね・・
ちょっとでも政府批判をしたら go to jail!なんでしょう・・ >>509
あいつら「チンギス・ハンはシナの英雄」って言ってるくらいだぞ >>536 何でも良いから未開で哀れな朝鮮半島に帰れ >>556
まあ今の中国は唐よりもチンギス・ハーンそのものだと思うよ
シルクロードを東南アジアから、中東から、欧州にまでつなぐらしいからね
その前にあちこちに中華人を住まわせて、ワンチャイナ!って感じだけどね
アメリカにも孔子学院を建てまくっていたと言うからね 現・民主党(日本社会党委員長を務めた)田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。
中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため
田辺は日本労働組合総評議会から3000万円の建設資金を南京市に寄付しその資金で同紀念館が建設された。
3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。
また記念館の設計は日本人が手がけた
社会党の田辺は靖国問題に火をつけた中心人物の一人な
昭和60年8月7日「朝日新聞」、加藤千洋記者が8月15日に予定している
中曽根首相の靖国神社参拝を「中国が問題視」などと批判記事を掲載
↓
8月15日、中曽根首相靖国神社参拝
※中共からの抗議なし
↓
8月26日 社会党田辺総書記長らが訪中
↓
8月27日 中共副首相が初めて靖国神社参拝を批判 1997年6月、英国による香港返還を前にクリストファー・パッテン総督が日本人記者団と会見した。その際、記者団からアヘン戦争(1839年〜42年)以来の150年以上にわたる中国領土に対する英国の植民地支配に触れ、
「謝罪はしないのか」と質問が出た。これに対しパッテン総督は「150年前の帝国主義をだれも道義的に正当化しょうとは思わない。帝国が関わったアヘン貿易を正当化するつもりもないが、英国が控え目な満足と誇りをもって香港を去ろうとしている理由は理解できるはずだ。
いったい今、何を謝罪するのか。19世紀の行為に今、道義的な責任を問う人はいないのではないだろうか。この未来志向の年に19世紀の話をするなら驚きだ」と答えたと言う。
.net
清帝国がアヘン戦争で大英帝国に屈した後、香港割譲などを
約した江寧条約(南京条約)が結ばれたのが1842年[a]。これ
以降、列強が中国の各地を蚕食していく。 しかし、西洋列強の侵略が中国に貧困と不安定をもたらした
という中国被害者史観は正しくない。中国の貧困と混乱は18
世紀末から始まっていた人口過剰−自然破壊−天災−飢饉−流
民化−内乱という自壊プロセスによるもので、西洋列強の侵略
はそれに乗じたものに過ぎない。 1899年頃に発生した義和団の乱も、太平天国の乱と同様、カ
ルト集団が起こした大規模な内乱だった。義和拳という拳法を
習得すれば、銃弾も跳ね返すことができるという迷信で大量の
流民を引き入れ、当初は「反清復明」(満洲人の清を打倒し、
漢人の明を復活させる)などのスローガンを掲げていたが、清
国軍に弾圧されるや、「扶清滅洋」(清を助けて西洋を滅ぼす)
と一転させた。 窮乏の原因を、中国国内に目立ってきた外国人のせいにする
のは、流民たちの暴動エネルギーを結集するのに効果的であっ
た。この排外暴動の中で、華北一帯の250人以上の白人キリ
スト教宣教師とその家族、2万人以上の中国人キリスト教徒が
殺害された。 この暴乱を今日の中国政府は「愛国運動」だと讃えるが、実
態は民衆の不平不満のエネルギーが、水が低きに流れるように、
もっともぶつけやすい対象に集中したに過ぎない。そのメカニ
ズムは昨今の反日暴動と同じである。 そもそも当時はバラバラだった訳でな
列強はそこに付け込んで安全保障やら
利権を掠め取っていた 日本もその中
の一国に過ぎず、椅子取りゲームと
思っていたらいつの間にか罰ゲームの
押し付け合いに成っていたのに、気が
付かずババを掴まされていただけ >>1
しょうがないじゃないか。眠れる獅子だと思ったら役立たずの土人だったんだもの… 欧米露列強は日本には直接手をかけはしなかったが、中国、満州へ着実にその勢力を伸ばし、日本を取り巻く環境は緊張の度合を深めていた。
清国は、アヘン戦争で敗れ、西側の列強の分割に屈していた。
しかし、当時の清は「眠れる獅子」と欧米から恐れられていたために、まだ完全に解体されるには至っていなかった。清は、むしろ、この欧米露の中国に対する内在する脅威をうまく操り生き残ろうと、
中国人らしいしたたかな計算を働かせていた。
こうしたバランス・オブ・パワーの上に立ち、アヘン戦争に負けた腹いせもあって、清が企てたのが軍事的に弱かった朝鮮の服従である。朝鮮を属国としか考えていなかった清は、朝鮮の内乱、「東学党の乱」に乗じて出兵、朝鮮半島の支配を強めた。
日本にとって朝鮮半島は、防衛の生命線である。ここが他国に侵されれば、次は日本が狙われる。どうあっても食い止めなければならない。日本は朝鮮の独立を守る為、清に宣戦布告、ここに日清戦争が勃発した。明治27(1894)年のことである。
日清戦争は案に相違して日本の連戦連勝。一年を経ずして終結し、下関講和条約が締結された。この条約によって朝鮮の独立は認められて、清より賠償金三億円の支払いと遼東半島、台湾、ホウコ諸島の割譲が決定された。
ところが、ここで欧米諸国の白人列強連合が口を挟む。三国干渉である。
条約が締結された6日後、満州進出の野望に燃えるロシアは、ドイツ、フランスと組んで、遼東半島の清への返還を迫った。この不埒な要求は拒否したいのはやまやまだったが、
三国を相手に戦う力は日本にはなく、やむなくこれを受入れるしかなかった。しかも、図々しくもロシアは、
日本が返還した遼東半島を清から譲り受け、旅順に大要塞を築き、南下の足がかりをつくった。いつかはロシアとも戦わなければならない日が来る。日露戦争の因はこの時既にできている。
日清戦争に負け、眠れる獅子の幻想が消えた清は以後、欧米列強にズタズタに分割される。山東省はドイツに、広州湾はフランスに、威海衛は英国に租借された。三国干渉とは、言ってみれば、
日本を封じ込め、欧米露が清に恩を着せた上で
中国の利権を得るという一石二鳥の「白色人種連合の謀略」であった。 >>1
イギリスとか欧米の事をちょっとでも思い出さないの?w 日本が他国から植民地支配されなかったのは良くも悪くもそれだけの気概があったからだろ。 ケ小平(Chinese,出自:四川省宏安県の客家系。1904年生。抗日戦志士として指揮を執り4万4千の日本軍を殺害し毛澤東・蒋介石に褒賞される。その後内戦時に国民党軍兵士3万5千を殺戮指揮。
カンボジャ共産党Khmer Rouge era・ Khmer Rouge Pol Potの200万大虐殺を支援したといわれる。文化大革命失敗の批判を甘んじ、1988年天安門大混乱でまたまた失脚。
彼が一度ニコっと笑うと千人死ぬと言われ恐れられた。1997年香港光複を目前にして北京にて他界享年92歳)。ケ屑平
1949年10月1日、蒋介石の国民党との内戦に中国共産党の毛沢東が勝利して、中華人民共和国が成立した。この日、北京の天安門広場で毛沢東は閲兵式を行ったが、国民党に反対して八路軍に参加した劉善本師長は、
隊長機に乗って飛行編隊群を指揮して天安門上空を飛び毛沢東の検閲を受けた。
この飛行により中国の人民空軍部隊の存在を世界に示したのであった。
瀋陽でも、この日同様な式典が行われたが、林少佐も隼戦闘機に乗り、他の日本人教官は九九式高等練習機を操縦して検閲を受けた。この時林少佐はまるで「ブルーインパルス」のように多くの曲技飛行を披露している。
又、牡丹江の航空学校では、所有する100機以上の飛行機が地上に並べられた。
国民党軍から捕獲した米空軍のP-51戦闘機や、AT-6、セスナ機なども並べられたが、まるで旧日本軍の飛行機が勢ぞろいした格好であったというから、なんとも奇妙な風景?であったろう。 日清戦争でも国力差2倍か3倍くらいあったのにそれでも負けてる・・・ 独ソ戦は大国同士のガチバトルで面白いが
日中戦争は日本が一方的に中国凹るだけだからつまらん 最近刊行されたR・Fジョンストン著、中山理訳、渡部昇一監修「紫禁城の黄昏」に詳述されている。この著書は第一級の資料価値があるため、東京裁判での封殺にあった。
後の国際連盟の「リットン調査団」は日本軍の自衛行動は100%認めなかったが、日本の行動には正当性がある事も認めた。支那は政治的騒乱、内乱、
社会的経済的不安で蒋介石中央政府に統治能力はないとし、他の外国にも不利を招く。支那政府は外国人の生命財産を保護し、商業居住、往来及び行動の自由を維持する国際条約上の義務違反として
日本軍の実質的行政管理を是とした。しかし形だけは列強の共同管理を提案した。日本はこれを不服として国際連盟を脱退した。
そもそも昭和12年、7/7に廬溝橋事件が起き、日本は不拡大方針で、現地解決の方針を出し、7/11に停戦協定に調印した。しかし蒋介石軍は西安事件での第二次国共合作で、漢奸の汚名返上のため、対日強硬策を採り、
7/17、現地での停戦協定を否認し、撤回した。その後日本軍に対する廣安門事件、郎坊事件、そしてあの有名な日本人虐殺事件である通州事件が起きた。
こうした悪逆非道の支那当局に対し日本国民の怒りが爆発し、本格的な戦闘状態になり、更に支那の空軍が上海で自国民を空襲・爆撃し、日本軍だと宣伝して、
上海でも日本海軍陸戦隊の将校や兵を虐殺したりして、上海事変となった。本格的な日支事変は日本軍の首都・南京攻略とで本格化した。
廬溝橋事件は、中共八路軍の発砲による謀略が定説となっている いくら戦闘で勝ちまくっても重慶までは行けないのよね・・・
補給の問題か >>29
戦時になると逃げ隠れするヘタレ雑魚ウンコリアンは引っ込んでろ こんなに方々に敵をあえて作り上げて、自分らのものではない、人権やら、民主主義やら利用しまくって
どうするんだろうとは思うけどね >>569
クリミア戦争、日露戦争、冬戦争、アフガン侵攻
ロシアは単独で戦う時は微妙なのよね・・・ 中国残留孤児とかいうハイブリット粗大ゴミ処分しよーぜ?w
自称日本人の中国土人だろwww (*´∀`)♪X2、→心神の実戦データがとれるン常っ、助かりますを支那たん💋 半島はあんな中国についていけるんだからスゴイもんよ・・
やっぱり心臓から毛が生えてるんだろうと思うよ つまり、日本に領土を奪われるのはゆるさないが
ロシアに沿海州を奪われたのは諦めるんだな? 中国大陸での零戦の作戦行動は、昭和16(1941)年8月末に
&完了した。大陸全体が、日本の航空兵力の制空下に納められた
; からである。約1年間で中国空軍に与えた損害は撃墜162機
(不確実3)、地上での撃破264機。零戦の被害はわずか2
& 機、それも地上からの防御砲火によるものであった。
中国空軍は、アメリカのクレア・シェンノートという元陸軍
& 航空大尉によって指導されていた。シェンノートは蒋介石から
の厚い信任のもとに、アメリカ、ソ連、イタリアなどから最新
& 鋭の戦闘機を購入し、多くの中国人パイロットを育てていた。
零戦の登場にシェンノートは激しい恐怖を覚え、その客観的
&なデータとともに、世界航空界の先進国を自負する米英軍の最
& 新戦闘機でも、零戦と交戦したら悲惨な結果となると警告した。
& しかし、その警告にアメリカもイギリスも全く反応を示さな
かった。数年前まで日本は米英の航空技術をコピーしていた後
進国であった。シェンノートが報告したような驚異的な性能を
持つ戦闘機を、日本が作れるはずはない、と彼らは信じこんで
いたのである。
国民党が、日華不可侵条約の破棄をしたのは1940年の12月だよ。
日華不可侵条約が、仮調印されたのは1937年の8月初めで、本調印は
1937年の9月18日、上海で。
これが史実。
国民党が、イギリスの勧めでソ連と軍事同盟を結んだのは、1938年の3月
仮調印、同年の9月本調印だ。
重慶や武漢を空爆していたのは、米軍機に日の丸をつけ中共軍と共に、
米軍がやったと言う事。
空爆に不時着はつきもの。
当時の香港やイギリスの新聞は、正直に伝えている。
今日、サルでも分かる事。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています