【中国ネット】信じられない!日本が26倍も国土の大きい中国に兵を向けたのはなぜか[06/09]
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◆信じられない!日本が26倍も国土の大きい中国に兵を向けたのはなぜか=中国メディア
日本の国土面積は約37万8000平方キロメートルであるのに対し、中国は約960万平方キロメートルと日本の約26倍に達する。
広大な国土を持つ中国から見れば、日本は小さな島国に映るだろう。
しかし、国土の規模が圧倒的に違うゆえ、中国人からすれば小さな島国の日本がかつて中国を侵略しようとしたという事実が信じられない部分もあるようだ。
中国メディアの快資訊は8日、国土がわずか37万8000平方キロメートルしかない日本が中国に兵を向けたのはなぜなのかと疑問を投げかける記事を掲載した。
記事は、盧溝橋事件が起きた1937年当時、中国の政権を掌握していたのは国民党政府であり、兵力は約202万人に達し、軍艦は66隻、戦闘機は600機以上を保有していたと紹介。
それに対し、日本の陸軍は50万人以上、2600機以上の戦闘機に200隻以上の軍艦を保有していたと紹介する一方で、中国には広大な国土と豊富な資源があったため、「数字上は日本の侵攻に無限に耐えられるはずだった」と論じた。
だが、国民党政権下にあった当時の中国は国が乱れ、共産党と国民党による内戦「国共内戦」も続いていたため、当時の中国は大きく疲弊していたと紹介。
もともと工業面で日本に遅れをとっていた中国は国と人民が疲弊しており、外部からの侵略に抵抗する力を大きく削がれていたと指摘し、それゆえ中国は日本の侵略を許してしまったのだと主張した。
サーチナ 2018-06-09 11:12
http://news.searchina.net/id/1660990?page=1 特定アジアは歴史しかカードが無い!
日本を見れば見るほど、異常な嫉妬心で身もだえするばかりだったのだろう
それにしても一部の中国人、朝鮮・韓国人の日本への嫉妬と執念深さは
異常であると言わざるを得ない。
中国・韓国・朝鮮の特定アジア三カ国が、なぜこれほどまでに過去に
こだわるかと言えば、日本にケチをつけたくても過去しかネタが無いと
いうことに尽きる。
第二次大戦後の中国・韓国・北朝鮮のやってきたことといえば、
大躍進失敗による大飢饉と文化大革命リンチ・天安門事件(中)、
光州事件(韓)、食糧難による苦難の行軍(朝)という自国民虐殺、
チベット・東トルキスタン侵略とベトナム・インド攻撃(中)、
竹島占拠と日本人漁民射殺(韓)、朝鮮戦争と日本人拉致(朝)という外国侵略、
これに対して戦後の日本は、アジアでもっとも進んだ民主主義と
人権を持つ国となり、アジアでもっとも早く豊かになって、
長年にわたって世界中に援助をしてきた。国連への貢献度も世界2位である。
BBCの世界規模での世論調査でも、日本への好感度は良好だ。
中・韓などの特定アジアを除いて!中国・韓国・北朝鮮は、
自国のミジメな戦後史を見るにつけ、現代の日本に全くケチがつけられないのである。
このままでは、遅かれ早かれ世界からの批判の目は民主国家・日本ではなく、
中・朝・韓の特定アジア独裁国家群に向けられるのは間違い無かった。
また、中・朝・韓が自分たちで勝手に、社会主義のような間違った経済政策や
無謀な戦争を起こしたから貧しかったにもかかわらず、東アジアで唯一
経済政策が成功して豊かだった
日本を見れば見るほど、異常な嫉妬心で身もだえするばかりだったのだろう。 >>1
宏大な荒れ地や砂漠も国土としてカウントしているようだが
お前ら、核実験場以外に何に利用するん? >>29
これは事実だろ。
朝鮮が独立国家として戦争をしてでも併合を拒否ししていれば、
その後の展開はなかった。 そして「何としても日本を悪者にして、世界からの批判を中・朝・韓ではなく
日本へそらしたい」という邪悪な心から生まれたのが、”過去カード”だ。
戦前の日本と戦後の日本は、同じ日本というだけで政治体制が
180度転換しているにもかかわらず、「日本は過去を反省していない。
だから現代日本は悪い軍国主義国家である」というデマを世界中に流したのである。
中・韓・朝が現代日本にケチをつけるには、もうこれしかなかったと言える。
★昭和46年 文化大革命礼賛コラム掲載
昭和46年 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載
(朝日売国記者 本多勝一が書いた捏造コラム。中国政府が用意
した証言者に中国政府役人監視の元インタビュー。後に
全てが捏造と指摘される。日本軍がやってもいない残虐事件を
作り上げ日本と日本人に多大な損害∞を与える。)
それにつけても朝日新聞の本多勝一という人間はどういう人間なのであろう。
日本人でありながら、日本人を侮蔑して、日本のためと言いながら、中国に媚を売って中国人の利益を代弁するという姿勢は何処から来ているのであろう。
相手の言い分のみを真に受けて、同胞の言い分には耳を貸さないというのは、どういう神経なのであろう。
それほど自分の同胞が気に入らないのならば、さっさと中国に渡り、中国の体制に同化すればいいと思うが、それは彼にとっても出来ないであろう。
なんとなれば、彼は日本にいるからこそ日本人の悪口を言って飯の種に出来るが、中国に行って日本の悪口を言ったところで、馬鹿にされるだけなので、彼は中国には渡れず、日本にとどまらなければならないのである。
日本には言論の自由があり、報道の自由があり、何を言っても束縛されないが、それに比べ彼のような本が中国で出版できるであろうか。 勝てると思ったからだろ、戦闘では200勝1敗1引き分け >>500
私が思うに過激派は、オウムのようなものじゃないかね?
オウムも仏教とか言っていたでしょう。誰もが「は?」って感じだけれどもね ・在日中国人女性中国の歴史(教科書)は、政治権力が変わればその都合によって変わります。その意味で、正しい歴史は日本で学べる、というのが今の実感です。いつの日か中国が正しい歴史に基づいて民主主義国家になることを夢見ています。<真実を知る中国人の本音3>
90年代後半、東京の大学院に留学生として来日した 夏遥さん(仮名、30代後半) も、来日して初めて日本の真の姿が分かったという。彼女もまた80年代半ば以降の「政治的反日」を指摘する。
「天安門事件の発火点となったのは、その3年前の1986年、中国全土で起こった大学生の民主化デモでした。上海で米国ロックグループのコンサートで上海交通大学院生が踊ったことが『中国の恥』と警察から暴行を受け連行されたのです。
それに対して中国の新聞が真実を報道しなかろたので同胞救出のデモが上海で発生し、全国に広まりました。
デモの二大テーマは『人権』と『言論の自由』。あくまで対政府であリ歴史問題などの反日ではありませんでしたが、丁度その頃から、メディアや大学構内の映画館、街の映画館で『南京大虐殺』の映像が流され始めました。
私が中国の大学に在学していた88年まで日本批判は次第に大きくなり、「日本人は残虐な民族だから女性は気をつけろ」とか日本では女性は奴隷のような生活で自由がない」
など悪い話ばかり聞くようになりました。男尊女卑の国というイメージです。
私は『道徳が国の発展にどう影響するか』というテーマを持っていました。ですので、そんなに悪い国である日本がなぜ戦後、
先進国に発展できたのか不思議だったのです。それを確かめるために日本に来ました。
まず驚いたのはいたるところに綺麗な公衆電話があったこと。中国では電話器、電線までも盗まれるからです。また水道水が飲めることも驚きでした。道徳、公の精神が広く行き届いているのだと感心しました。
また駅前で男性が立ち食いそばを食べ、
女姓はデパートなどで優雅に買い物をしている。その点では、女尊男卑の国でした(笑)。 靖国参拝ー在日中国人の声を聞け
相 林: 中国民主運動 海外聯席会議副幹事長
張本 真: 「大紀元時報」記者 呉 麗麗: 「大紀元時報」記者
≪間違いだらけの靖国理解≫
相:先日も私の中国の友人が日本に来て、「靖国神社ってどういうところ?」と聞かれました。
「戊辰戦争以降の240万人以上の戦死した軍人が祀られているよ」と答えると、凄く驚くのです。「えっ、嘘でしょう。第二次大戦のA級戦犯だけじゃないの?そう聞いていたけど」と。
これが中国人の一般的なイメージですよ。
張本:もうひとつ、中国で知られていないのは、「靖国神社が私的な宗教団体の施設である」という事実です。中国人のほとんどは靖国神社を国家的な施設だと思っている。
しかも、8月15日になると、靖国神社にかっての日本軍の軍服で参る人たちがいますね。
その数はごくわずかだし、ノスタルジックなものでしかないのでしょうが、中国のテレビなどでは、彼らの姿のみがクローズアップされて放映されるので、テレビで見る中国人は、軍国主義の復活と思い込まされるのです。
相:私達の小さい頃は、「中国は外国から狙われている。我々は決して侵略はしないが、いつ攻めてこられるかわからないから油断するな!」と教わってきた。しかし、実際には、チベットしかり、朝鮮戦争しかり、むしろ攻める側だったのです。
1979年にベトナムに攻め込んだときも「悪いベトナムに正しい道を教えるために派兵しているのであって、自衛戦争だ」と言っていた。日本に来てから知ったのですが、これは日本が中国に攻めたときと同じ理屈なんですね。
日本は中国人民を解放すると言いながら攻めてきた。同じことを、戦後は中国がやってきた。こんな中国に、今の日本を軍国主義呼ばわりする資格があるわけがない 歴史のある宗教は決して決して何であれ突くものではないと思うんだわ
私は何が何でも逃げるわ。祟りジャー祟りジャーって思うからね ★【産経抄】9月26日
・平成生まれのみなさんへ。長かったいくさが終わって、中国がぼくたちの「ともだち」だった
時期がほんのひとときあったんです。つきあい始めたころには、白黒の珍獣を友情の印に
贈ってくれ、上野動物園には長蛇の列ができました。
▼こんな愛くるしい動物のいる国はきっと、やさしい人たちが住んでいるんだろうな、とぼくたちは
信じました。もちろん、いくさで死んだ兵隊さんを祭った神社に偉い人が参っても文句ひとつ
いいませんでした。
▼しばらくして、「ともだち」は、神社へのお参りに難癖をつけ、ぼくたちが持っている島を
「オレのものだ」と言い出しました。びっくりしましたが、トウ小平というおじさんが「次の世代は
我々よりもっと知恵があるだろう」と言ってくれました。
▼でも小平おじさんは、本当は怖い人だったんです。「自由が欲しい」と広場に座り込んでいた
若者たちが目障りになり、兵隊さんに鉄砲を撃たせ、多くの人を殺してしまいました。みんなは
びっくりして「こんな野蛮人とはつきあえない」と村八分にしました。
▼それでもぼくたちは、みんなに「こいつは本当はいい奴(やつ)なんだよ」と口をきいてあげ、
貧しかった彼には、いっぱいお金をあげたり、貸してあげたりしました。おかげで「ともだち」は、
みるみるお金持ちになりました。
▼そのお金で「ともだち」は軍艦や戦闘機をいっぱい買い、今度はもっと大きな声で「この島は
オレのものだ」と叫びました。「次の世代の知恵」とは、腕ずくで島を奪うことだったんです。
パンダにだまされたぼくたちは浅はかでした。「次の世代」のみなさんは、もっともっと力を
つけて真の友人をつくってください。お願いします。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100926/plc1009260307003-n1.htm このシリーズさ、いろいろ着眼点はいいんだけど、、ちゃんと考察しなよ。
結局、ご都合妄想結論だして「仕方なかった、それでも今は
そんな日本を追い抜いた中華すごい!」で終わるから成長しないんじゃん。 >>512
近代化した日本や欧米に敵う訳がないw
国土が何十倍でも中国は産業革命による近代化も出来なかった中世の土人国家だからな 偉大なるシナ(China)国民諸君。 日本は、民主主義の国だ。 政府が干渉しない、自由選挙ができる国だ。
階級や、財産や、思想で差別されない、普通選挙を続けている国だ。
日本は、自由主義の国だ。 共産党に国民の主権を簒奪された国とは違う。
国軍ならぬ共産党の軍隊に集会を戦車で踏みつぶされ、
青年達を殺されても、全てが無かったことにされるような国とは違うのだ。
偉大なるシナ(China)国民諸君。 日本の内閣総理大臣は、選挙によって選ばれた議員の中から、議会の多数決で任命される。
国民の支持なしに、日本の内閣は、日本の指導者は存在し得ない。
偉大なるシナ(China)国民諸君。
シナ(China)には、「日本の国会にあたる全人代」が存在するという。
良し、では、問おう。
シナ(China)には、自由選挙が存在するのか? 普通選挙が行われているのか?
思想の自由は、言論の自由は、集会の自由は、結社の自由は、出版の自由は、
シナ(China)に、存在するのか?
否、信仰の自由とともに、これら全ての自由はシナの国民から奪い去られている。
偉大なるシナ(China)国民諸君。君たちは、指導者を選ぶ自由を持っているか?
君たちは、指導者を倒す権利を持っているか?
かって多くの偉大なる先達たちが行ってきた、圧政の府を倒す権利を失ってはいないか?
偉大なるシナ(China)国民諸君。 目覚めよ。そして知れ。 真の軍国主義者は誰か?
自らの利益のために国民に銃を向ける者は誰か? 立ち上がれ。そして旗を立てよ。
国民の自由と、権利と、軍隊を、共産党から奪い返すのだ つかさお前ら支那人は恥ずかしくないの?
有色人種全ての解放者にしてアジアの盟主
という日本に対して。 スペインやイギリスの成功例が先例としてあったからね ・中国大陸从毛澤東文革時大力鼓吹生小孩后,大陸人口激掾C造成許多社会問題,雖然大陸明文規定禁止吃嬰,但是却是鼓励堕胎,
同時社会道コ的直銭下滑,導致這樣泯滅人性和違反人権的事情屡屡発生。
(中国大陸では毛澤東の文化大革命時代に盛んに子を産めよ増やせよと奨励したために人口が激増して多くの社会問題をもたらした。
当時嬰児食の禁止を明文化して規制していたにも関わらず、却って堕胎を奨励することになり社会道徳は地に落ち、
このように人道は潰滅し人権侵害行為がたびたび発生するようになってしまったのである)。
(注:強制堕胎を施行している支那大陸ではいまでも毎年二千万〜三千万柱もの命が失われている)。
:『中国は間もなく老人地獄になる』。
2030年には半数が老人になるという統計が発表された。推定8億人が老人という凄まじい国になる。
安定した豊かさと安全に恵まれた国がはじめて老人大国になれる"資格"があるのに、支那大陸では搾取と極貧のままで老人になっていくんだからことが悲惨である。
幸せを知らないまま死んで行くわけだから気の毒としか言いようが無い。20年後には日本のすぐ隣でこの世の生き地獄が具現される。(日本への負の影響は計り知れないものがあるだろう)。
172:『中国国内には文化的財産・遺産は悉く残っていない』。
王朝交代時に全て破壊されるか、窃盗に遭い国外に売り飛ばされてしまった。多くは日本・台湾・英国などに有り。北京紫禁城(故宮)の中は蛻の殻(もぬけのから)といっても大袈裟ではない。
第一級の財宝は台湾台北の"国立故宮博物院"に保存されている。遺産財宝は保管保存の為に支那国外に在ったほうが幸せである。 どんどんロシアをはじめ白人国が入って来るからだろ
日本が出てこなかったらどんな世界になってたか?だよ まあいっても今回の今回だけは支那の時代来たんじゃないの?
経済で抜いたからっていい気になるな?
いやいや経済が良ければ社会だって自然と良くなるよ経済が全てだよ >>514
お前らは、未開な中国土人が整備した旅客機に乗れるか?
立派な俺は乗れるぞ!
お前らは、未開な中国土人が補充した自販機のジュース飲めるか?
立派な俺は飲めるぞ!
お前らは、未開な中国土人が握ったマイクで歌えるか?
立派な俺は歌えるぞ!
お前らは、未開な中国土人が入浴中の湯船の中に入れるか?
立派な俺は入れるぞ!
お前らは、未開な中国土人が捏ねた肉まん食えるか?
立派な俺は食えるぞ!
お前らは、未開な中国土人と握手出来るか?
立派な俺は出来るぞ!
お前らは、未開な中国土人が試着した服を着れるか?
立派な俺は着れるぞ!
ひとつでも躊躇したお前は差別主義者のネトウヨだ。
未開な中国土人を差別するなよ!戦犯国ジャップ! ほん30年前まで自転車で走り回ったんだから、わかんだろw そもそも、その国土の面積もおかしいから。
中国は歴史も知らねえとバカにされるだけ。 >>534
日本が極東防衛を放棄していたら、
今の支那チョンは絶滅、あの辺りは黄ロシアと
呼ばれていたでしょう。 「若い人は知らないかもしれないが、三年困難時期(「大躍進運動」の中国国内の俗称)の時、数千万人も餓死した。木を伐採して鉄鋼生産に使い、生態環境は破壊された。1959年の大干ばつが発生し、一年間食糧が収穫できず、四、五千万人も餓死した」。
「大躍進運動」は、1958年に、当時毛沢東政権が共産主義社会の実現を加速させ、欧米の経済大国を追い越すことを目的に発足した国家プロジェクト。1958年から1960年までの三年間、農村の現状を無視し、強引な集団農場化や、農村での鉄鋼生産などを進めた結果
、自然環境をすべて破壊し、農村経済を混乱させ、深刻な食糧不足により多くの餓死者を出した。
「大躍進運動」による餓死者数について、今まで中国当局が公に言及したことがなかった。内部で発表された統計数字は2千万人前後と言われているが、中国内外の研究者が三千万から五千万人と推定している。中共の高級幹部が公に五千万人もいると認めたのは初めてである。
袁氏の発言は中国国内の読者やメディアに注目されている。元新華社記者楊継縄氏が今週、香港メディアの取材で、大躍進運動は数千万の死者も出し、期間中食糧がないため人間同士を殺し合い食べるケースも少なくないと話した。
また、中国国内のネット利用者の中で大きな反響を呼んだ。「初めて聞いたが信じられない!でも、袁は政府の高官であり、専門家でもある。広州日報も党の宣伝紙だ。きっと袁の発言は事実だ」と驚きの発言は各ネット掲示板上で絶えない。
袁隆平氏は1930年北京生まれ。ハイブリッド水稲の専門家として中国の農業研究をリードして来た袁氏は中国特等発明賞や世界知的所有権機関(WIPO)の金賞など内外から多くの賞を受賞し、「ハイブリッド水稲の父」と呼ばれている。1996年5月15日、
日本経済新聞創刊120周年を記念して創設した「日経アジア賞」(第1回)において技術開発部門で受賞している。
.net
中国共産党の歴史は、人民にとっては災難の連続だった。むろん、それは単なる自然災害ではない。共産党による何千万という同胞殺害と、
誤った政策による何千万という悲惨な人災の連続だったのである。
まず一九四八年から五五年という初期の段階―。元公安相の羅瑞卿によれば、革命の敵として処刑された中国人の数は四〇〇万に上るという。
これはまだ毛沢東が博愛的だったといわれる時代だ。
五七年の反右派闘争の時には、五〇万を超える愛国者が右派分子として当局から弾劾され、そのうち数万人が労働収容所で死んだとされる。
そして、五八年には有名な大躍進が始まるが、この時の犠牲者は諸説あるものの、恐らく三〇〇〇万人は下らないという。
それだけではない。その後にやってきたのはあの文化大革命だが、ここでも少なく見積もっても二〇〇〇万人の中国人が殺されたとするのが研究者の定説である。
むろん、こんな数字は中国人自身が知らない数字である。あの天安門事件もそうだが、彼らは未だにその真相を知らされず、それを正当に知り、批判する自由すら与えられていない。
もし彼らに、いつの日か歴史研究の自由が与えられたとするなら、果たしてその結果はどのようになるか。クリストフはそう問いつつ書いている。
《問題は、中国の歴史家が押し入れを開く度、人の骸骨(犠牲者たち)が転げ出てくることなのだ。いつの日にかすべての押し入れが音を立てて開かれた時、
共産党の神話は崩壊し、社会は大きなショックに直面するだろう》(同書) 勝てるから。ハイ論破。
中国軍なんて士気ゼロ。
かつて100万の隋軍がわずか20万の高句麗軍に全滅させられたがやる気ゼロだから
負けて当然www >>535
じゃあ、移住すれば?
漢民族でも中国に住みたいないって奴多いけど。w 良書紹介
中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか (ハードカバー)
石 平 (著)今更述べるまでもなく、中華人民共和国は自国民を最も多く虐殺した国である。
天安門の虐殺を含め、共産党政権が歴史上、どれほどの大虐殺を行なってきたか、共産党による虐殺の歴史を中心に、秦の始皇帝以来の「中国大虐殺史」を綿密に調べてまとめたものである。
今まで無視されてきた歴史の闇に光を当てる、「虐殺」に的を絞った、もう一つの中国史演義。
書の夥しい虐殺例うち、すさまじい一例を紹介しよう。
17世紀半ば、反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度だという。
大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動するため、張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。成都の街全体が「人肉加工場」に化したと云う。
石平氏によると、この張献中と毛沢東とは、その時代やイデオロギーは全く異なるとしても、人民に対する残虐性や心の深層において酷似するという。そして、そのキーワードが社会から排斥された「遊民」であり、
主流社会にたいする恨みと報復心なのだと。本書は日本人にわかりにくい、かの国の社会構造の一端を知る手がかりともなるだろう 多分武論尊氏が見たのは支那の未来じゃあないのかなあと。 2011年08月22日01:00 中国人「毛沢東が日本の侵略に感謝したのは本当?」 中国の反応カテゴリ歴史中国の反応
http://blog.livedoor.jp/panda_translator/archives/51882121.html
「毛沢東外交文選」には、毛沢東が日本人に対して何度も「日本の侵略に感謝します」という類の話をしたと書かれている。
1961年、毛沢東が日本社会党の議員である黒田寿男らと会談した際の話である。「日本の皇軍は、かつて中国の半分以上を占領し、そのお陰で中国人民は学校で教育を受ける事が出来た。
もし、日本の侵略がなければ、恐らく我々(共産党)は未だ山の中に潜伏したままであり、北京で京劇(中国の伝統的な戯曲)を鑑賞する事は出来なかっただろう。日本の皇軍が中国の半分以上を占領した事で、
我々は抗日を指示する地域を確立し、後の解放戦争に勝利するための基盤を築き上げる事が出来た。日本の資本と軍閥は我々にとって”良い事”をしてくれたわけであり、
もし感謝をしなければならないのであれば、私はここにおいて日本皇軍の中国侵略に感謝したいと思う。」
1956年、毛沢東が訪中してきた旧日本陸軍中将の遠藤三郎と会談をした際の話しである。「あなた方は我々にとって先生であり、我々はあなた方に感謝する。あなた方がこの戦争をし、
中国人民を教育してくれた事で、今まで統一感の無かった中国人民の群集が団結できたのだ。それ故、我々はあなた方に感謝すべきなのだ」。
同年、日本の日中輸出入組合理事長の南郷三郎と会談した際にも、毛沢東は同様の話をしたのであった。 毛沢東は、訪中した日本の政治家が過去の侵略について謝罪
すると、「いや、日本軍閥にむしろ感謝したいくらいですよ」、
彼らが中国を広く占領していなかったら、「われわれは現在も
まだ山の中にいたでしょう」と述べた。[1,p346]
中国共産党(中共)軍は1936年(昭和11)10月に、国民政
府軍に追われて1万キロ以上も敗走し、ようやく中国西北部・
黄土高原の延安に逃げ込んだ。「長征」と美化するが、実態は
大敗走である。「山の中」とは、この延安の事だろう。日本軍
が侵入して来なかったら、中共軍は圧倒的な国民政府軍の攻勢に、
延安に閉じこもる山賊程度の存在に過ぎなかったろう。
もっとも毛沢東のこの言葉には、日本への素直な感謝という
より、「してやったり」という自慢が多分に含まれていると感
ずる。日本を日中戦争に引きずりこみ、蒋介石の国民政府軍と
戦わせて「漁夫の利」を得る、というシナリオを書いたのはソ
連のスターリンだったが、それを主役として演じたのが毛沢東
であった。この実績と、党内の競争相手を冷酷な手段で次々に
蹴落としていったことで、毛沢東は中国共産党主席の地位を獲
得したのである。最近のベストセラー『マオ』には、その過程
が活写されている。[1] 今でも現代の西太后が何人ものさばってるから、腐敗と無能の中国はまた勝てないよw
英米が助けなきゃ中国なんて国は滅びてた
そもそも人民解放軍自体が他国のように国民を守る国軍ではなく、薄汚い共産党の雇ったボディガードに過ぎんのだ
自国民に銃を向け、戦車で轢き殺す奴らだ
負け戦と思えば、敵前逃亡する 現代の中国人は欧米列強の植民地状態だったのを知らないのかな? 1966/9 昭和41年私は総統に敬礼してから、「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。
「いつか。」と聞かれるので「36年(昭和11)の3月、松井石根閣下にお伴して、南京で・・・・」と申し上げた。
松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。
ふるえ声で――「松井閣下には、申し訳なきことを致しました・・・・・」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。
私は驚いた。一同も蒋総統のこの異様な態度に驚いた。
周知の通り南京戦の直後、蒋は漢口にいてしきりに対日抗戦の声明文を発表したが、〈虐殺事件〉など一言も触れていない。何応欽軍司令官の『軍事報告書』の中にも一行もない。それを東京裁判は、松井大将の責任で20万余を虐殺したと判決して、絞首刑に処したのである。
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉(じゅんほう)したばかりか、留学生当時から自分(蒋介石)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪(えんざい)で刑死せしめた。
悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。
蒋介石は私の手を2度、3度強く握って離さず、目を真っ赤にして面(おも)を伏せた。
周知の通り、蒋はカイロ会議以降連合国首脳会議から除外されて、発言権を失った。代わってスターリンがのさばり、中立条約を破って満州、南樺太に進攻し、北方四島の侵略まで果たした。
蒋は東京裁判関係からも除外され、派遣した梅判事はすでに共産党にくらがえしており、南京事件に対して何らの発言も出来なかったのである。
蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったと聞く
・在日中国人女性 鳴霞さん(近畿福祉大学講師)の「親日の告白」(SAPIO)5/25号)
「未だ法治国家になれない中国には、言論の自由もなく、民主主義国家におけるさまざまな権利を認められた国民も存在しません。教科書新聞、ネット、テレビなどすべての媒体は共産党政府が一元管理しています。
また、少なくと1億人以上(中国政府発表)の字が読めない人や一般人民が日本の歴史教科書や靖国神社の実態を知るわけがありません
当時私は朝日新聞と読売新聞を併読していました。ところが、1984年頃から朝日新聞が「南京大虐殺」を旧日本軍がやったと大々的に報道することに違和感を持ち朝日の購読をやめました。
なぜなら、中国で「南京大虐殺」は教科書でもメディアでも見聞したことがなかったからです。
来日して「南京事件」についての論争があることを知り、知人から『南京事件日本人48人の証言』(阿羅健一著)を薦められて読んで、
当時の南京で「虐殺」は起こりうる状況でなかったことを知りました。また、「南京大虐殺」の教典とされていた英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員ティンパーリの『戦争とは何か』(1938年)が
、国民党の宣伝文書であったたことが国民党の公式史料で判明したことなどで、
私は「南京大虐殺」の嘘を知りました。
かつて私は中学の歴史教科書で、「毛沢東軍(八路軍)は国民党軍を30万人殲滅した」と教えられました。 中国に住んで超監視社会だなんて、もうビッグノースコリアだよね・・
ちょっとでも政府批判をしたら go to jail!なんでしょう・・ >>509
あいつら「チンギス・ハンはシナの英雄」って言ってるくらいだぞ >>536 何でも良いから未開で哀れな朝鮮半島に帰れ >>556
まあ今の中国は唐よりもチンギス・ハーンそのものだと思うよ
シルクロードを東南アジアから、中東から、欧州にまでつなぐらしいからね
その前にあちこちに中華人を住まわせて、ワンチャイナ!って感じだけどね
アメリカにも孔子学院を建てまくっていたと言うからね 現・民主党(日本社会党委員長を務めた)田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。
中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため
田辺は日本労働組合総評議会から3000万円の建設資金を南京市に寄付しその資金で同紀念館が建設された。
3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。
また記念館の設計は日本人が手がけた
社会党の田辺は靖国問題に火をつけた中心人物の一人な
昭和60年8月7日「朝日新聞」、加藤千洋記者が8月15日に予定している
中曽根首相の靖国神社参拝を「中国が問題視」などと批判記事を掲載
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8月15日、中曽根首相靖国神社参拝
※中共からの抗議なし
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8月26日 社会党田辺総書記長らが訪中
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8月27日 中共副首相が初めて靖国神社参拝を批判 1997年6月、英国による香港返還を前にクリストファー・パッテン総督が日本人記者団と会見した。その際、記者団からアヘン戦争(1839年〜42年)以来の150年以上にわたる中国領土に対する英国の植民地支配に触れ、
「謝罪はしないのか」と質問が出た。これに対しパッテン総督は「150年前の帝国主義をだれも道義的に正当化しょうとは思わない。帝国が関わったアヘン貿易を正当化するつもりもないが、英国が控え目な満足と誇りをもって香港を去ろうとしている理由は理解できるはずだ。
いったい今、何を謝罪するのか。19世紀の行為に今、道義的な責任を問う人はいないのではないだろうか。この未来志向の年に19世紀の話をするなら驚きだ」と答えたと言う。
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清帝国がアヘン戦争で大英帝国に屈した後、香港割譲などを
約した江寧条約(南京条約)が結ばれたのが1842年[a]。これ
以降、列強が中国の各地を蚕食していく。 しかし、西洋列強の侵略が中国に貧困と不安定をもたらした
という中国被害者史観は正しくない。中国の貧困と混乱は18
世紀末から始まっていた人口過剰−自然破壊−天災−飢饉−流
民化−内乱という自壊プロセスによるもので、西洋列強の侵略
はそれに乗じたものに過ぎない。 1899年頃に発生した義和団の乱も、太平天国の乱と同様、カ
ルト集団が起こした大規模な内乱だった。義和拳という拳法を
習得すれば、銃弾も跳ね返すことができるという迷信で大量の
流民を引き入れ、当初は「反清復明」(満洲人の清を打倒し、
漢人の明を復活させる)などのスローガンを掲げていたが、清
国軍に弾圧されるや、「扶清滅洋」(清を助けて西洋を滅ぼす)
と一転させた。 窮乏の原因を、中国国内に目立ってきた外国人のせいにする
のは、流民たちの暴動エネルギーを結集するのに効果的であっ
た。この排外暴動の中で、華北一帯の250人以上の白人キリ
スト教宣教師とその家族、2万人以上の中国人キリスト教徒が
殺害された。 この暴乱を今日の中国政府は「愛国運動」だと讃えるが、実
態は民衆の不平不満のエネルギーが、水が低きに流れるように、
もっともぶつけやすい対象に集中したに過ぎない。そのメカニ
ズムは昨今の反日暴動と同じである。 そもそも当時はバラバラだった訳でな
列強はそこに付け込んで安全保障やら
利権を掠め取っていた 日本もその中
の一国に過ぎず、椅子取りゲームと
思っていたらいつの間にか罰ゲームの
押し付け合いに成っていたのに、気が
付かずババを掴まされていただけ >>1
しょうがないじゃないか。眠れる獅子だと思ったら役立たずの土人だったんだもの… 欧米露列強は日本には直接手をかけはしなかったが、中国、満州へ着実にその勢力を伸ばし、日本を取り巻く環境は緊張の度合を深めていた。
清国は、アヘン戦争で敗れ、西側の列強の分割に屈していた。
しかし、当時の清は「眠れる獅子」と欧米から恐れられていたために、まだ完全に解体されるには至っていなかった。清は、むしろ、この欧米露の中国に対する内在する脅威をうまく操り生き残ろうと、
中国人らしいしたたかな計算を働かせていた。
こうしたバランス・オブ・パワーの上に立ち、アヘン戦争に負けた腹いせもあって、清が企てたのが軍事的に弱かった朝鮮の服従である。朝鮮を属国としか考えていなかった清は、朝鮮の内乱、「東学党の乱」に乗じて出兵、朝鮮半島の支配を強めた。
日本にとって朝鮮半島は、防衛の生命線である。ここが他国に侵されれば、次は日本が狙われる。どうあっても食い止めなければならない。日本は朝鮮の独立を守る為、清に宣戦布告、ここに日清戦争が勃発した。明治27(1894)年のことである。
日清戦争は案に相違して日本の連戦連勝。一年を経ずして終結し、下関講和条約が締結された。この条約によって朝鮮の独立は認められて、清より賠償金三億円の支払いと遼東半島、台湾、ホウコ諸島の割譲が決定された。
ところが、ここで欧米諸国の白人列強連合が口を挟む。三国干渉である。
条約が締結された6日後、満州進出の野望に燃えるロシアは、ドイツ、フランスと組んで、遼東半島の清への返還を迫った。この不埒な要求は拒否したいのはやまやまだったが、
三国を相手に戦う力は日本にはなく、やむなくこれを受入れるしかなかった。しかも、図々しくもロシアは、
日本が返還した遼東半島を清から譲り受け、旅順に大要塞を築き、南下の足がかりをつくった。いつかはロシアとも戦わなければならない日が来る。日露戦争の因はこの時既にできている。
日清戦争に負け、眠れる獅子の幻想が消えた清は以後、欧米列強にズタズタに分割される。山東省はドイツに、広州湾はフランスに、威海衛は英国に租借された。三国干渉とは、言ってみれば、
日本を封じ込め、欧米露が清に恩を着せた上で
中国の利権を得るという一石二鳥の「白色人種連合の謀略」であった。 >>1
イギリスとか欧米の事をちょっとでも思い出さないの?w 日本が他国から植民地支配されなかったのは良くも悪くもそれだけの気概があったからだろ。 ケ小平(Chinese,出自:四川省宏安県の客家系。1904年生。抗日戦志士として指揮を執り4万4千の日本軍を殺害し毛澤東・蒋介石に褒賞される。その後内戦時に国民党軍兵士3万5千を殺戮指揮。
カンボジャ共産党Khmer Rouge era・ Khmer Rouge Pol Potの200万大虐殺を支援したといわれる。文化大革命失敗の批判を甘んじ、1988年天安門大混乱でまたまた失脚。
彼が一度ニコっと笑うと千人死ぬと言われ恐れられた。1997年香港光複を目前にして北京にて他界享年92歳)。ケ屑平
1949年10月1日、蒋介石の国民党との内戦に中国共産党の毛沢東が勝利して、中華人民共和国が成立した。この日、北京の天安門広場で毛沢東は閲兵式を行ったが、国民党に反対して八路軍に参加した劉善本師長は、
隊長機に乗って飛行編隊群を指揮して天安門上空を飛び毛沢東の検閲を受けた。
この飛行により中国の人民空軍部隊の存在を世界に示したのであった。
瀋陽でも、この日同様な式典が行われたが、林少佐も隼戦闘機に乗り、他の日本人教官は九九式高等練習機を操縦して検閲を受けた。この時林少佐はまるで「ブルーインパルス」のように多くの曲技飛行を披露している。
又、牡丹江の航空学校では、所有する100機以上の飛行機が地上に並べられた。
国民党軍から捕獲した米空軍のP-51戦闘機や、AT-6、セスナ機なども並べられたが、まるで旧日本軍の飛行機が勢ぞろいした格好であったというから、なんとも奇妙な風景?であったろう。 日清戦争でも国力差2倍か3倍くらいあったのにそれでも負けてる・・・ 独ソ戦は大国同士のガチバトルで面白いが
日中戦争は日本が一方的に中国凹るだけだからつまらん 最近刊行されたR・Fジョンストン著、中山理訳、渡部昇一監修「紫禁城の黄昏」に詳述されている。この著書は第一級の資料価値があるため、東京裁判での封殺にあった。
後の国際連盟の「リットン調査団」は日本軍の自衛行動は100%認めなかったが、日本の行動には正当性がある事も認めた。支那は政治的騒乱、内乱、
社会的経済的不安で蒋介石中央政府に統治能力はないとし、他の外国にも不利を招く。支那政府は外国人の生命財産を保護し、商業居住、往来及び行動の自由を維持する国際条約上の義務違反として
日本軍の実質的行政管理を是とした。しかし形だけは列強の共同管理を提案した。日本はこれを不服として国際連盟を脱退した。
そもそも昭和12年、7/7に廬溝橋事件が起き、日本は不拡大方針で、現地解決の方針を出し、7/11に停戦協定に調印した。しかし蒋介石軍は西安事件での第二次国共合作で、漢奸の汚名返上のため、対日強硬策を採り、
7/17、現地での停戦協定を否認し、撤回した。その後日本軍に対する廣安門事件、郎坊事件、そしてあの有名な日本人虐殺事件である通州事件が起きた。
こうした悪逆非道の支那当局に対し日本国民の怒りが爆発し、本格的な戦闘状態になり、更に支那の空軍が上海で自国民を空襲・爆撃し、日本軍だと宣伝して、
上海でも日本海軍陸戦隊の将校や兵を虐殺したりして、上海事変となった。本格的な日支事変は日本軍の首都・南京攻略とで本格化した。
廬溝橋事件は、中共八路軍の発砲による謀略が定説となっている いくら戦闘で勝ちまくっても重慶までは行けないのよね・・・
補給の問題か >>29
戦時になると逃げ隠れするヘタレ雑魚ウンコリアンは引っ込んでろ こんなに方々に敵をあえて作り上げて、自分らのものではない、人権やら、民主主義やら利用しまくって
どうするんだろうとは思うけどね >>569
クリミア戦争、日露戦争、冬戦争、アフガン侵攻
ロシアは単独で戦う時は微妙なのよね・・・ 中国残留孤児とかいうハイブリット粗大ゴミ処分しよーぜ?w
自称日本人の中国土人だろwww (*´∀`)♪X2、→心神の実戦データがとれるン常っ、助かりますを支那たん💋 半島はあんな中国についていけるんだからスゴイもんよ・・
やっぱり心臓から毛が生えてるんだろうと思うよ つまり、日本に領土を奪われるのはゆるさないが
ロシアに沿海州を奪われたのは諦めるんだな? 中国大陸での零戦の作戦行動は、昭和16(1941)年8月末に
&完了した。大陸全体が、日本の航空兵力の制空下に納められた
; からである。約1年間で中国空軍に与えた損害は撃墜162機
(不確実3)、地上での撃破264機。零戦の被害はわずか2
& 機、それも地上からの防御砲火によるものであった。
中国空軍は、アメリカのクレア・シェンノートという元陸軍
& 航空大尉によって指導されていた。シェンノートは蒋介石から
の厚い信任のもとに、アメリカ、ソ連、イタリアなどから最新
& 鋭の戦闘機を購入し、多くの中国人パイロットを育てていた。
零戦の登場にシェンノートは激しい恐怖を覚え、その客観的
&なデータとともに、世界航空界の先進国を自負する米英軍の最
& 新戦闘機でも、零戦と交戦したら悲惨な結果となると警告した。
& しかし、その警告にアメリカもイギリスも全く反応を示さな
かった。数年前まで日本は米英の航空技術をコピーしていた後
進国であった。シェンノートが報告したような驚異的な性能を
持つ戦闘機を、日本が作れるはずはない、と彼らは信じこんで
いたのである。
国民党が、日華不可侵条約の破棄をしたのは1940年の12月だよ。
日華不可侵条約が、仮調印されたのは1937年の8月初めで、本調印は
1937年の9月18日、上海で。
これが史実。
国民党が、イギリスの勧めでソ連と軍事同盟を結んだのは、1938年の3月
仮調印、同年の9月本調印だ。
重慶や武漢を空爆していたのは、米軍機に日の丸をつけ中共軍と共に、
米軍がやったと言う事。
空爆に不時着はつきもの。
当時の香港やイギリスの新聞は、正直に伝えている。
今日、サルでも分かる事。 >>580
沿海州中国人だらけとか
乗っ取る気満々なのかな 「林少佐が林彪などに協力を約束して4年間、更に日本人スタッフの大半が帰国する1953年までの3年余、異国での敗戦・動乱の中で死亡者は数人に過ぎない。
多数の軍人集団が、自由意志の下にまとまって行動して所期の目的を達成したケースはまれであった」と新治教授は書いているが、林少佐の下に一致団結して行動し、
新生中国空軍創設の約束を果たした、律儀な旧帝国陸軍軍人達の姿が髣髴としている。その反面、帰国した彼らを待っていたものは、第2次世界大戦終結後に生じた自由主義諸国と共産主義諸国との対立、
いわゆる東西冷戦下において、新生中国とは水と油の関係に位置する自由主義国の日本であったから、帰国後の彼らの立場には微妙なものがあったに違いない。
世界を制した米国自身でさえも、空軍が独立したのは第2次世界大戦後であり、その後急激に「進化」するのだが、戦後に創設された「航空自衛隊」は、旧陸・海軍の航空部隊が併合された上、
独立した空軍戦力として発足したのは幸運なことであった。
新治教授は「中国空軍は、当初林少佐が教育し、短期間に戦力化した軍隊であり、そこには良好な教育をすれば即刻能力向上できる中国国民の潜在力がある。
若い中国空軍軍人達は自尊心からかそれを言いたがらないらしいが、中国空軍指導者達は、林らに対して、今でも決して忘れてはならない『中国空軍の友』として尊敬し、
英雄とみなしているのである」と本論文を締めくくっている。
上海で中国の空軍大佐たちと酒を酌み交わした私は、同席した現役空軍大佐達に林少佐のことを問いかけたのだが、
彼らはよく理解していたから林少佐を尊敬していたと思う。
byさとう >>579
中国の歴代王朝が直轄領にするのを忌避するほどの土地
あとは分かるな? 一番大事な時に、オンナなんかに国を牛耳らせたから。
セイタイゴウの腐敗政治を、誰も止められなかった。
毎日贅の限りを尽くした料理、しかし少ししか食べないで捨てる。
満漢全席って清の時代にできたんだっけ?
国政を怠り、軍隊もダレきってヤル気がない。
遅れた旧式兵と、時代遅れの兵器。
そんな隙を欧米列強に攻め込まれた。
誰がどう考えてもシナの自業自得。
自分で自分の国を守れなかった。
植民地時代なのに近代化を怠り、井の中の蛙で。 >>128
三国人が喚いてもよく聞こえねえな
台湾が中国?お前バカだわ。中国が台湾だぞ。 極左って日本だけでなくって世界各地で活動とかやっていそうじゃないかね
人権とか民主主義とか言うんだけれども、なにかオカシイと言うとんでもない違和感があるものね
自分らの国はそうではないのに、自分らにとって便利だから、そういうものも利用しちゃうのかな、みたいな >>582
万里の長城の先にあるのに、
自分達の領土と考えてるので、必ず奪還する気でいる。 >>580
核武装して情け容赦なく銃弾ブチ込んでくる相手には滅法弱いのが支那。 中国は兵を入れたのは日本だけだと思ってんのか
世界中の列強に半植民地にされたこと覚えてないの? >>590
エゲレスに阿片漬けにされたとか
露助にエロエロ取られたとか (´・ω・`)支那たん、弱点、抱え過ぎ☆三峡ダムどうすんの?巨大過ぎるからどうにもならんよね、あれ……合衆国の皆様が言ってたお?→支那がほざいたら三峡ダムつついてヤれ、と∀ 【人民日報】「全力で真相を伝える」日本人弁護士の一瀬氏ら、中国の重慶大爆撃被害者に献花[06/26]
>
昭和15(1940)年7月末、試作機はすべての問題点が解決し
たことを認められ、その年の紀元2600年を記念して、末尾の零
をとって「零式艦上戦闘機」と名づけられた。
8月19日、漢口から零戦12機が飛び立った。重慶を爆撃
する陸上攻撃機54機の護衛である。その搭乗員たちは、初め
て自分たちを援護してくれる戦闘機を得て、零戦に機上から手
を振った。1500キロもの長距離を単座の戦闘機が編隊を組
んで飛行するのは、世界航空史上でも例のないことであった。
重慶では約30機の中国空軍の戦闘機で待ち構えているとい
う情報が偵察機からもたらされていた。しかし、中国空軍は出
てこず、陸上攻撃隊はゆうゆうと爆撃を行い、全機帰還した。
中国空軍は日本の新鋭戦闘機が援護しているという情報を得て、
身を避けている気配であった。翌日の爆撃にも姿を見せなかっ
た。
そのうちに意外な情報が重慶からもたらされた。中国空軍は
日本の航空戦隊が帰った後に、重慶上空を飛行し「日本航空隊
に大損害を与え、追い払った」と宣伝しているという 鳩山は中国、汚沢は韓国、空き菅は北朝鮮の工作員
【中国】日中関係の改善、鳩山元首相のように理性的で長期的ビジョン持った政治家が増えることが鍵に―中国メディア
中国に対して挑発的言動を重ねている。そんな彼らは「政権を握るためならば日本の国益を犠牲にしてもかまわない」という
横暴な独裁者に過ぎない。
残念なことに、今の日本の政界には鳩山氏のように理性的に実務をこなし、戦略的ビジョンを持った政治家が少ない。
これは中国にとって不幸なことであり、日本にとっては大きな不幸だ。(翻訳・編集/本郷)
Record China 7月8日(月)12時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000011-rcdc-cn
交渉の為に隣国から使者が来て、
もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。
交渉の為に隣国から使者が来て、
もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。
そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。
そしてやがては滅ぶ。
(六韜・中国の兵法書より) >>584
気のせいかもしれないけど、あの土地に関わると厄介そうではあるものね
まあ最前線を日本に敷くのは間違ってはいないかもしれないんじゃないかね
オバマ元大統領もあの土地を気のせいか、そう言うつもりではないんだろうけれども
そう近づいていなかったものね。それでノーベル平和賞でしょう
あのマッカーサー元帥は優秀過ぎる軍人であっても、半島と関わったのがいけなかったんだろうと
今となっては思ったりするものね >>1
信じられない、清国の無様な歴史
清国侵略されまくり
イギリス ◎香港(アヘン戦争、1842〜)、九竜半島・威海衛(三国干渉に乗じて、1898〜)
ポルトガル ◎マカオ(明代の1557より植民地化開始、1887正式に植民地)
ドイツ ◎膠州湾(三国干渉、1898〜)
フランス ◎広州湾(三国干渉、1899〜)
ロシア ◎旅順・大連(三国干渉、1898〜)
日本 ◎台湾(日清戦争、1895〜)
◎上海は1842年アヘン戦争の結果開港、以後「共同租界」となる
イギリスに国民をアヘン漬けにされ、西洋国家には「苦力(クーリー)」、
すなわち下層肉体労働者として世界中に連れ去られた
挙句「三国干渉」で日本に遼東半島を明け渡さなかったのはいいものの
上記のようにドイツ・フランス・ロシアに良港を中心に奪い取られた
ロシアには旅順に軍港・要塞まで造られて、どれだけ清は弱かったの♪
西欧列強に踏みにじられつくしたのになぜか日本にだけ敵意を抱く♪ 当時のインフラや資源採掘技術を考えてみ
何も生まない土地なんていくらあってもしょうがない
ロシアが最強か?って話 まあ在日もちょっと半島から出たからラッキーなのであって、
下手に近づかないほうが良いんじゃないかね・・
運は大事なものだし、ちょっとどこも最近は半島にヒイているものでしょう
気のせいかも知れない、だけど何か本当にあるとは思うんだわ >>590
今いる中華土人どもは、その年代からの新参者か文革馬鹿ってことでしょ。
それ以前の歴史を知ってる中国人は居ないんだよ。あそこはもともと
土地に歴史があるだけで、人民は入れ変わってるからね。 >>598
序列では西欧列強はアジアンより格上だからしょうがないだろ。
序列では戦犯国の負け犬ジャップより未開な中国土人が格上だ。
世界も未開な中国土人が序列では格上だと認めている。
「2018年版 アジアの国家 序列一覧表」 ※NPO Nation Power調べ
アジア序列1位 中国 ←
アジア序列2位 シンガポール
アジア序列3位 インド
アジア序列4位 パキスタン
アジア序列5位 大韓民国
アジア序列6位 タイ
アジア序列7位 ベトナム
アジア序列8位 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)
アジア序列9位 インドネシア
アジア序列10位 フィリピン
アジア序列11位 日本 ←
アジア序列12位 台湾
アジア序列13位 スリランカ
アジア序列14位 ネパール
アジア序列15位 バングラデシュ
アジア序列16位 ブルネイ
アジア序列17位 マレーシア
アジア序列18位 ラオス
アジア序列19位 モンゴル
アジア序列20位 ミャンマー
アジア序列21位 モルジブ
アジア序列22位 カンボジア
アジア序列23位 ブータン
アジア序列24位 東ティモール
↑これが冷静かつ論理的な非営利団体組織の正確無比な判断。
ジャップ=アジアの雑魚 >>598
>イギリスに国民をアヘン漬けにされ、西洋国家には「苦力(クーリー)」、
すなわち下層肉体労働者として世界中に連れ去られた
でも連れ去れた人の方が幸せになれたんだろうね。 最初はやっぱり日韓米と思ってはいたんだけどね
中国の妨害かとも思ったんだけども、やっぱり何かこう半島って
バミューダトライアングルみたいな不気味さはあるじゃない・・ 【中国BBS】日本人に感謝する台湾人…なぜ蒋介石には感謝せず?
台湾人の多くが親日感情を持っているとされるが、多くの中国人にはその理由が理解できないようだ。
中国大手検索サイト百度の掲示板に 「なぜ台湾人は日本人に感謝するのに蒋介石には感謝しないのか?」というスレッドが立てられた。
スレ主は「台湾に与えた被害でいえば、蒋介石よりも日本人のほうがずっと大きいはずで、台湾への貢献でいえば、日本による50年の統治でも中国と台湾の生活レベルは変わらなかった。
それに蒋介石は発展した経済を導入したのに、なぜ日本人には感謝して蒋介石には感謝しないのか」と質問した。
中国のネットユーザーからは問題の核心をつく意見もあり、 「蒋介石は災いをもたらした張本人」、
「二二八事件を知っているか? 台湾人と国民党との間で起きた矛盾だ」
などのコメントがあった。 指摘のあった二二八事件とは、
闇たばこを売っていた女性に対して取締役人が暴行を働いたことに端を発する本省人と外省人の抗争だ。
数万人の死者・行方不明者が出たと言われており、
日本統治時代に高等教育を受けた台湾のエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された事件だ。
同様の指摘をするコメントはほかにもあり
「もともと台湾人は祖国が来たと中国軍を喜んで迎えたんだよ。
ところが30年にわたって台湾人を殺した。日本人に殺されるならまだ理解できるが、同胞に殺されたんだぜ。
祖国に戻ったのに、日本の植民地時代よりも苦しい日々になったんだ」という説明があった。
台湾人の心情を良く表現したコメントと言えるだろう。
実際、日本統治時代のインフラ整備はその後の台湾経済発展の基礎になったと言われている。
そして不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、
国民党が来てからの治安の悪化や役人の著しい腐敗は受け入れがたいものであり、
当時の人びとは「犬去りて、豚来たる」と揶揄(やゆ)していたという。(サーチナ・編集担当:畠山栄)
ソース:livedoorニュース 中国残留孤児とかいう偽物のハイブリット粗大ゴミが可哀想な立派な被害者在日朝鮮人を差別してるけど、
日本国内での序列では可哀想な朝鮮人がお前ら中国残留孤児の底辺粗大ゴミより格上だぞwwwww 靖国問題で論破された中国大使 伊勢雅臣
上智大学名誉教授の渡部昇一氏が知人数人と、王毅駐日中国大使を囲んで会食した時のことである。席上、こんな歴史論争が始まった。
その中で、中国が日本批判の口実にする歴史認識に関連して、私は発言した。シナ事変を始めたのは日本ではなく、中国の側であるということである。
慮溝橋で最初に発砲し、攻撃を仕掛けたのは中国側であるということ。それが上海に飛び火して戦火が拡大していくのだが、この上海の飛び火は中国側の正規軍が日本人居留地を攻撃したものであること。
これらを私は事実をあげて述べた。東京裁判もこれを認め、日本のシナ事変の開戦責任を問うことはしなかった。それを問えば、戦勝国である中国側の責任があらわになってしまうからだ、とも述べた。
王毅大使はじっと聞いていたが、それだけだった。これについて、なんの発言もなかったのである。 >>9
そんな認識だから馬鹿にされるんだよ。
日本は中国に安定したまともな国を作ろうとしてアメリカと中華民国を作った。
でも孫文の建国の意思に反して国は乱れて皇帝になろうとするバカまで現れた。
懲らしめて改心させようとしたのが対華21カ条要求。
侵略とかとんでもねえよ。 >>602
その、NPO Nation Powerとやらの、公式サイトはどこかな (´・ω・`)黒電話が寿命の軽水炉と核関連施設に日本に譲りたいんだって→つまり、我が日本に処理しろ、と∀ぶん殴っていい?自衛隊の皆様が∀∀∀ 【中国】駐日中国大使:尖閣事態悪化、日本を批判〔09/17〕
何代か前に 王とか言う大使がいたのだが ⇒出世し外務大臣らしいな
渡部 昇一 上智大名誉教授
・だが、当時の日本軍は何も侵略のためにシナに兵を出していたのではない。大陸での駐屯は、シナとの条約によって公式に認められたことであったし、
海外における自国民および利権の保護のためにその地に兵を置くことは、
国際的に見ても常識に属することであった。欧米諸国もやっていたことである。「そこにいたから悪い」というのは、まさに苦し紛れの言いぐさでしかない。
・そもそもシナ大陸に戦争を引き起こしたのは、『中国共産党』である。それは共産党自身がもっともよく知っている。
・第一次大戦以降、シナ大陸で起こった問題にはすべて、直接・間接にソ連と共産主義がからんでいるのである。
何代かまえに 王とか言う大使がいたのだが
上智大の渡部教授が 侵略について問うた。彼は答えられなかった。
当たり前だ、日本の皇軍は、軍規が、世界一厳しい。毛沢東やケ小平、周恩来が否定してるんだからだ
江沢民以降次代を担う者への愛国教育がこの様だ。愛国無罪は中国の悪しき伝統である。身勝手な口実である。
国を愛して行えば少々のことは許されるとは、中国国内で通じこそすれ、国際的な免罪符にはならない。百年前を顧みて義和団を正義の反帝国主義運動なりと言うのは勝ってだが、
動機は行為を正当化しない。愛国無罪はならず者の論理であり、それを許す国はならず者の国家である。
偏狭なる愛国心が、シナ大陸のほぼ全土で発生し、世界中に知れ渡った、今回の反日暴動、竹島上陸の在日酋長といい、日本国民を
完全に敵に回した、まあ、友好なんて言葉は隣国では、無いほうが普通なのだが、
今までの気違いじみた特亜3国に対する経済界、政治家も 媚びて来た過去を反省すべきだ。
まともな並の国になってからで遅くない、既に深みにはまりすぎの企業は撤退を計れ ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています