ところで、『シリーズタイプの名探偵のジレンマ』にはこういうのもある。
それは「名探偵の存在自体が事件の動機になってしまう」ことだ。この場合、犯人の目的は最初から
「名探偵に対する挑戦」であって多くの場合、複数の事件現場にはそれを示唆するメッセージが残される。
このメッセージが直接的な「指名」であることは稀で、大抵は連続する犯行の手口や被害者による断片的な
伝言、または犯行日時や場所、さらには天候や月齢なんてのもある。つまり事件は最初のうちどうしても
連続せざるを得ない。そしていずれの場合でも、その過程で起きるいくつもの被害は犯人の挑発に過ぎないが、
被害者にしてみればその被害は、「名探偵が存在しなければ受けずに済んだ被害」に他ならない。
物語中の被害者や遺族がそう思う描写がなかったとしても、読者がそう感じるのだ。
この点において、多くの名探偵は自分のキャラクターを『内省する必要』に迫られる。
 
このジレンマを『名探偵』から『ヒーロー』に拡大してより分かりやすくと言うより、観客の思いをぶっちゃけた
のが映画『アヴェンジャーズ』でレギュラーの一人が仲間に言う「人類が攻撃される理由は私たちがいるからだ」
という科白だ。多くのミステリやSFその他冒険スリラーにおいて、この『物語を追う者を立ち竦ませる』指摘が
繰り返されるのは、このジレンマもまた未解決であることを意味するからだろう。