>>89
内地(現在の日本)とそれ以外とでは慰安婦の集め方が全く異なりました。
内地では「支那渡航婦女の取扱に関する件」という、内地から中国に渡航させる慰安婦は、
満21歳以上の現役の娼妓や醜業を営む女性に限定するという通達が内務省から出ていた為、
公娼制度下の元々娼婦であった成人女性だけが本人の同意の下に集められていました。
このように日本人で慰安婦となった者は元々娼婦であった上に仕事内容もきちんと説明されていた為、
戦後になって国を訴えるというような人は一人も現れていません。

一方で内地以外の地域、特に朝鮮では、売春経験の無い未成年の少女が工場で働けるなどと騙され、
本人の意に反して慰安婦にさせられたケースが多いのです。
中国で随一の規模だった漢口慰安所を兵站司令部の慰安係長として管理・統制していた山田清吉は『武漢兵站』の中で、
「内地から来た妓は大体、娼妓、芸妓、女給等の経歴のある20から27,8の妓が多かったのに比べて、
(朝鮮)半島から来た者は前歴も無く、年齢も18、9の若い妓が多かった」と回想しています。
慰安所設置の理由の一つは”兵力低下を招く性病防止”でした。
その為、前歴の無い若くて性病罹患歴の無い女性が求められました。
その供給源としての役割が内地以外の地域に押し付けられたのです。
売春経験の無い素人が就労詐欺等により、本人の意に反して慰安婦にされたのですから、
その精神的・肉体的苦痛は計り知れないものがあり、
内地以外の地域出身の数多くの元慰安婦から日本が訴えられるのも至極当然と言えます。