1944年、日本と戦争している最中のアメリカ戦時情報局心理作戦班の報告。
このレポートは、ビルマのミートキーナ陥落後の掃討作戦において1944年8月10日頃に捕虜とした、
20人の韓国人"慰安婦"、及び2人の日本の民間人の尋問から得られた情報に基づく。
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
ビルマで捕虜となり米軍日系兵士の尋問を受ける慰安婦たち
http://3.bp.blogspot.com/-lwmP8ywoBPE/Ud1fIaMe45I/AAAAAAAAH2I/MTM39YtdFbU/s1600/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%97%A5%E5%A0%B1.jpg

・ 「慰安婦」とは「売春婦」にすぎない。もしくは「駐屯地追随プロ娼婦(PCF)」
・ 募集は日本軍が直接行ったわけではなく、業者が仲介した。
・ 応募者の多くは無学であり、家族の借金のために数百円の前金を受取り契約した。
・ 慰安婦の収入は総売上げの半分程度であり、平均的な月収は 750円程度
 (当時、日本軍一般兵の月給は10円、将校(少尉)の月給は70円だった)。
・ 食事は十分であり、軍医による定期的な健康診断も実施され、慰安婦の健康状態は良好であった。
・ 規則により夜間と早朝の接客は禁止されていた。但し、将校は割増料金を払う事で宿泊できた。
・ 慰安婦には避妊具が支給され、客を拒否する特権を持っていた。例えば酔った客などはしばしば拒否した。
・ 週休1日制であり、オフの日に健康診断が行われた。
・ オフには客の将兵とスポーツやピクニック、デートや食事等を楽しむ事もあった。
・ 町にショッピングに行くことが許されており、その為のお金も持っていた。
・ 借金を返済し、契約条件を満たした者は帰国が可能であった。
・ 客から求婚する例が多くあり、実際に結婚に至った例もある。
・ 慰安婦の平均年齢は25歳

【慰安婦問題】「慰安婦は売春婦」裏付ける米公文書の存在 「兵士の75倍の高給を稼いでいたのが、韓国人慰安婦」[02/23]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1393141359/